鴎外山脈に挑む~2

 この項に対し、TMさんから、あたたかいレスポンスを頂きました。本当に有難うございます。

> おはよう御座います。「鴎外山脈」へ挑戦されるよし、海外旅行の次は日本文学、それも鴎外ですか。

 鴎外は前から狙っていたんですが、なにしろ気が多いので、すぐ他へ興味が移ってしまい、いつも後回し。今でも、ほんとうは後回しの部に入っているんですが、公に読書宣言でもしない限りますます遠のいて行く気がして…、あえて宣言だけでもと思い…。(-_-;)

> 確かに厖大な作品を全部読み切るのは・・・・私の場合も古典中心に読みたい本が山積しているのですが肝心の体力特に視力の衰えは何ともしがたく、結局気が向いた時にページをめくるのがやっと。

眼の衰えでは人後に落ちません。すぐ眼が疲れて眠くなり、困っています。(-_-;)これでは麓へ着くのも何時になることやら。

> 体力、気力と相談されながら少しずつ「鴎外山脈」を踏破されますよう・・・何はさておき今回我々後進を大いに刺激していただいたことにお礼申し上げます。

 踏破はたぶんムリでしょうね。ご存じのように、かれの文章には文語体が多く、というより、和漢洋の混合であるため非常に読みづらく、一向にはかどりません。言い回しも現在使われていないものが頻出します。

 途中で挫折しないようにするためには、後期の口語体あたりから読み進めるのも一法か、と。またそれとは別に、鴎外を理解する為には、まず間接的に、かれにゆかりの人物に接近し、そのあたりから切り崩して行くのもいいかなと、最近は思い始めました。

 まあ、何事も長続きしたためしのない紋爺のたわ言ゆえ、深くお考えにはならぬよう。そのうち、鴎外とは縁もゆかりもない方角へ向かって走り出しているかもしれません。(-_-;)

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鴎外山脈に挑む

チャレンジなんと云う言葉は今時の若者に受けるらしく、朝のテレビなどにも盛んに出てくる。ひとことにチャレンジというが、後期高齢に達したあっしには、そう生易しいものではない。

 よく漱石と鴎外を日本の文豪の代表格になぞらることがあるらしいが、最近あっしは、漱石より鴎外にひかれ、鴎外のものをすこし読んでみたいと思っている。しかし、鴎外の作品もケッコウ多いので読み切れるかどうか。もし全部読み切れなければ、その場合は次回生まれて来たときの楽しみに取っておこうかと思う。なにも、焦ることはないのだ。

 顔だけ見る限りでは、いかにも偉そうで、近寄りがたいが、彼にもあっしら平凡な人間同様の悩みがあったらしい。斉藤美奈子のように好きな女を妊娠させておいて、最後まで面倒を見なかった超悪男の代名詞の一言で括るには、ちょっとムリなようだ。

 あっしはいわゆるミーハーなので、作品より人物の方へ先に目が行ってしまうが、アプローチの方法としては、あっしのばやいは、これしかない。

 でないと、途中挫折は眼に見えている。なりふりは構わず、兎に角1日でも余計にこの『チャレンジ』を続けてみたいものだ。

 むかし、子規の多彩な友人を表すのに、『子規山脈』と云う言葉を本のタイトルにした人がいた。あっしの場合は、相手は一人でも世界的な高山である鴎外は、鴎外山脈と名づけたい。まず山麓へいたり、そこから天候の具合などを考えながら、無理をせず、体調も視野に入れながら一歩一歩登ってみたいと思っている。しかし、生まれついての三日坊主、麓へ着くまでに気が変ってしまう可能性はかなり高い。(-_-;)

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オランダ王国首相に名誉博士号~2

 オハヨゴザイマスで始まるバルケネンデ首相の演説は、慶応の創始者福沢諭吉が流暢なオランダ語をあやつり、1862年にはオランダに1ヶ月以上も滞在したことを挙げ、不思議な縁を感じます、などと聴衆をひきつける、たくみな話ぶりで、話を進めていたように思います。

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オランダ王国首相に名誉博士号

慶応大学では、日蘭通商400年、大学開学150年を記念し、来日中のヤン。ピーター・バルケネンデ首相に対し名誉博士号を授与することに決め、きょう朝9時40分から授与式、並びに講演会が行なわれた模様。首相は、スピーチで、現下の国際的経済危機に際し、世界は更なる協調を強めていく必要があることなどを力説したらしい。
                                                         (10月27日記)

 http://www.volkskrant.nl/binnenland/article1308294.ece/Eredoctoraat_voor_Balkenende_in_Japan

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横浜山手散策

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 先日、仲間と山手方面を散策した。ところで、みなさん、

 コープランドと云う名をご存じだろうか?日本のビールの歴史に欠かすことの出来ない人物で、説明板にもあるように明治の初めに日本初の国産ビールをここ山手で創った。

 これが後にキリンビール(現在は生麦に移転)に発展するわけだ。この場所(山手10番館)から徒歩5分くらいのところに、キリン公園と云うのがあり、そこに醸造工場があったらしい。今、そのあたりはビヤザケ通りと呼ばれている。

 ここには、かれの営むビア・ガーデンがあり、これも日本初となった。そのウィリアム・コープランドの墓は、外人墓地にあるようだ。

 日本人による最初の英和辞典などでは、まだオランダ語のくせが抜けきれなかったのか、beerの発音が、ベールとなっていたそうな。

 トリビア知識になるが、オランダ語では、同じ母音が続くときは、伸ばす音になる。なお、オランダ語でのbeerは、beerでなく、bierである。

 当時はイギリス風とドイツ風の2種のビールが売られていたようだが、すでに明治の25年頃から、日本人の趣向は、ドイツ風へ加速度的に傾斜して行った模様。 イギリス風独特の苦味が嫌われたのかも。 

    参考:キリンビール編「ビールと日本人 明治・大正・昭和ビール普及史」

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創世記が目を回すような出来事~3

 現地の宗教団体プロデオは、ヴァン・デ・ヴォルデ教授の記事を載せた新聞に対しても攻撃の手を緩めない。編集者や編集局は重罪を犯したのだから即刻謝罪の意思を表すべきだ。また新説を発表した教授に対しても、あの女には悪魔が取り付いている。彼女は完全に行かれている。信仰心の厚いオランダ社会に、とんでもない大嘘をひろめた、と。

 なお、同女は、創世記に関し、神は唯一神のみがいたのではなく、まわりには多数の神々がいた、というようなことも云っているらしい。

 こうなると、一神教の屋台骨も危なくなってくる。(@_@;)

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創世記が目を回すような出来事~2

 創世記が目を回すより前に、オランダ中がさきに目を回してしまったようだ。(-_-;)この記事が出て以来議論沸騰。キリスト教社会は完全に二分された形だという。

 また、女史の意見を入れるにしても、こうした誤訳が何千年の間まかり通ってきたというのも、俄かには信じがたい気もする。

 あっしが思うに、もし神が創ったのでないなら、誰が創ったかという紋題とともに、あっしらが子供のころから聞かされてきた造物主(つくりぬし)と云うものが否定されるとキリスト教社会そのものの屋台骨を揺るがすようなことになりはしないか。彼らはメイク(make)とクリエート(create)を峻別する。神はなにも無いところから創り出したのだからこそ偉大なのである。見本があってそれを真似て作るなら誰にでも出来る。

 また、神がすべてを創ったのなら、その前史は存在しないはず。もし、神が到達する前に天地が創造されていて、神はただ分離作業だけをやったのなら、すべての始まりではないわけだ。つまり、旧約聖書は、中途から書き始められたことになる。したがって、こうなると、聖書自体の価値、ひいてはキリスト教の価値も大きく減退するはずである。これはかなり大きな紋題と云えるのではないか。

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創世記が目を回すような出来事

創世記を読まれたことがあるだろうか。旧約聖書の巻頭にあるのがそれで、何語でもいいが、その初めに、In the beginning when God created the heavens and the earth, とかIn principio Dio creo il cielo e terra.つまり、初めに神は天と地を創られた、と書いてある。

 ミケランジェロの『天地創造』は世界中に有名で、日本の観光客もローマ(正しくはヴァチカン市国だろうが)を訪れた際にはかならず見ていると思う。

 音楽好きはハイドンの作品に、同名のもののあることをご存じだろう。

 ところがつい最近、神は天と地を創ったのではない、天と地を切り離したのだという学者が現れた。つまり創ったというのは完全な誤訳だとエレン・ヴァン・ヴォルデ教授がオランダはネイメーヘンのラートブート大学での講義で、自説を展開したという。(今週の木曜日)

 女史に拠れば、そもそも天地は神が創る前から存在していたのだ、と。これは言語学的な面だけでなく。メソポタミアなど他の創造神話などと比較して得た結論だそうな。

 そうしてヘブル語のバラはこの場合、「創造」でなく「分離」だと断定した。神はもとからあった大地から天を切り離したに過ぎないんだそうである。

 英語でdivorceとなっていたのでチョッと首をひねったが、大型の辞書をみると、divorceには切り離すという意味があるのだそうだ。思えば英語は落ちこぼれにしても、divorceの深い意味を知らなかったのは、我ながら恥ずかしい。(-_-;)

ここではヘブル語のバラと云う言葉が紋題のカギとなるようだ。この解釈についてはもちろん反論も多く、たとえばアンドリース・クネーベル氏はその手法を批判している。

 天地創造神話を根底からひっくり返す新解釈がとても信じられない向きには、近いうちに同氏の論文が一流の学術雑誌に載るというから、批判はそれを読まれてからにした方が賢明であろう。

 ヴァン・デ・ヴォルデ教授は、1954年オランダはフローニンヘン生まれ、現在はティルブルク大学で教えている。ラートブート大学、ローマ教皇庁聖書研究所などで神学や聖書研究の部門などで研鑽を積んだ。イギリスのシェフィールド大学の客員教授でもある。

☆ マヤの神話では、天地と云う対立項はなく、地のみが創られる。そのあとは天でなく、様々な動物、人間はいちばん後になる。ナワ族の神話でも天地と云う考えはなく、最初には水しかなく、そこから大地が生まれるがこれも神の創ったものではなかった。

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ミープヒース星誕生!

みなさんは、「アンネの日記」をお読みになっただろうか。あっしは旅行前、名前だけは聞いていたけれどマッタク読んでいなかったので、直前に大慌てで拾い読みした。

 このなかにミープと云う人物が頻出☆する。この人こそ「日記」を世に送り出すのに大功のあった人物である。100歳になる現在も元気に暮らしているようだ。

 それがこのほど国際天文学連合(IAU)小惑星センターによって、ある小惑星にその名をつけることが決まったそうだ。つまり「ミープヒース」という星が誕生するわけである。これは誠にお目出度いというか、本人とってたいへん光栄なことのようである。

 彼女、オランダ人というより、生まれはオーストリアのウィーン。アンネはドイツのフランクフルト生まれ。名前は長くて、正式に書くと、ヘルミネ・ミープ・ヒース・ザントロウシッツとかいうらしい。「アンネの日記」を世界中に紹介したほか、自身でもアンネに関する本を書いている。

 * 読んでいない方へ。たとえば、1943年12月27日の分をみると「……生まれてはじめてクリスマスの贈り物をもらいました。……そしてミープとエリー、みんながまたわたしたちには内緒で、思いがけない贈り物を用意してくれたのです。ミープはすばらしいクリスマス・ケーキをつくってくれました。」(深町真理子訳)

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OV-chipkaart~4

 TSさん、度々、すんまへんなあ。レスおおきに。(^_-)-☆

>  しかし、国鉄の切符みたような大事な紋は、もし簡単に暗号読まれたり、破られでもしたら「へえ、すんまへん、今度からよう気いつけるさかい、今回だけは堪忍やで」の一言では、ほんまに済んまへんなあ。(-_-;) 


 暗号を読み取った人が、そんなに、儲けてへん間に、読み取られたことを見付けな、アカンのでっけど、
趣味でやられたら、損得はあんまり関係が無くなってまう、いうのが、一番の弱点ですやろね。

 のぞき趣味には勝てへん。 \(◎o◎)/!

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