ヴェネツィア滞在記~1
「ギリシャ・クロアチア・イタリア周遊」もお陰をもって好評裏に終えることが出来た。実はあのあと、下船したヴェネツィアへニ泊したのだ。で、好評?に気を良くして、その話を次に書くことにした。
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きょうは奇しくもカサノヴァが、チェコのドュチコフで生を終えた日である。読者はなぜ紋次郎が、いきなりそんなことを云い出すのかといぶかしく思われるであろう。実はそれにはふか~い訳?がある。ヴェニスの宿が『カサノヴァ』と云う名の宿だったのである。同行者は、宿の主人がカサノヴァの縁者で、血筋のせいで女癖が悪く、誘惑でもされたらどうしようと、行く前から大分思い悩んでいたようだが、幸か不幸か心配するような事件はただの一度も起こらなかった。だいたいフロントに坐ったカサノヴァ氏がもうかなり年を取っていて、物のように立ちそうに見えなかった。あっしも宿に滞在中、宿の名の由来を聞こうと思ったこともあるにはあったが、忙しくもあり、面倒でもあり、ついに果たせなかった。ただ、宿の案内にカサノヴァのイラストが付いていたので、たぶん名前は、彼が地元の名士(!千人斬りの?)☆と云うことだけで付けたのでもあろうか。
ところが、かれの伝記を読んでみると、今度の船旅にも多少の関係があったことが分かった。というのは、彼はパードヴァの大学を出ると、暫くは教会関係の仕事をしていたが、そのあと士官になり、ギリシャのコルフ島(ケルキラ島)に、短期間だが、駐在していたという。
ケルキラ島といえば、あのシッシーで有名な島ではないか。いまでは何も痕跡は残ってはいないが、滞在中は彼のことだから、さぞかし以て生まれた美貌と手練手管で、多数の婦女と浮名を流したのではないか。チクショー。(なぜ、紋爺がそこで、腹を立てる?)
ここでマジメな話になるが、旅行社の用意してくれたこのホテルは、実に立地条件がよく、サン・マルコ広場のすぐ裏に位置し、一、二分で、広場に出られる。また、近くには高級ブティックが軒を連ねているし、郵便局、書店、みやげ物屋、レストラン、ゴンドラ乗り場と何でも揃っている。早い話、ホテルのまん前がレストランだった。歩かずともすぐに飯が食える。たしか他にも二、三軒飯屋が並んでいた。もちろん、宿にも食堂はある。したがって朝食はここで摂った。この宿には二泊した。体調を崩していた紋爺は、そのお陰でずいぶん助かった。あのままドゴール空港へ直行していたら、下手をすると、帰ってからすこし寝込んでいたかも知れぬ。
このホテルは、入った直ぐにエレベータがあるが、よくその前で宿泊客と顔を合わせた。それはあっしが日に二回も三回も外出するせいでもあった。あるとき、東洋系の顔をした男が、エレベータの降りてくるのを待っていた。黙っているのも気まずいので、中国人かと聞くと、いや、フィリピンだと答えた。それを聞いてなにか不思議な気がした。もちろん、フィリピンだって別に来てはいけないわけではないが。
横丁を出た直ぐに、Mondadoriという日本で云えば、講談社や新潮社のように有名な、書店があった。そこの女店員に、何のきっかけだか覚えていないが、買い物の際話しかけられ、近くトーキョーへ行くので、適当なホテルを教えてくれなどと聞かれた。適当に答えたが、お礼だと云って、折りたたみ式のヴェネツィア観光地図をもらった。女店員は、恰幅のいい人だったことだけが印象に残っている。
夕闇迫る頃、表へ出ると変わった光景が見られた。それは昼間はどこに潜んでいたのか、雲を衝くような北アフリカ系の大男が辻々に現れ、それぞれが黒いビニールのゴミ袋のようなものを持っている。この袋の中身はやがて判明した。10メータ置きに立った黒人の男らが袋から取り出したのは、高級そうな婦人用のバッグだった。それらを道路に並べ、通りすがりの旅行客に声を掛ける。こんなところで買い物をする人がいるのかと心底ビックリしたが、これだけの人数が出動しているところを見ると、けっこう商売になるのかも知れぬ。近くのキオスクで絵葉書を買ったが、店番の男はやはり北アフリカ系の黒人で、それはいいのだが、実に無愛想だった。
よそのホテルの壁に銘板が貼られていたので、目を凝らすと、シルヴィオ・ペッリコがそこに住んでいた、と書いてあった。ペッリコといっても、大方はご存じないと思うけれど、詩人でイタリア統一運動(リソルジメント)の時期に、炭焼き党員として活躍、オーストリア政府に不当逮捕され、10年間の長い間、獄中にあった。そして『わが獄中記』を書いたことでも、有名な人物だ。6月14日記 (つづく)
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☆千人切りと云うのは話を面白くするために云うのであって、実際は好色一代男の三千七百四十二人と同じく、そんな数ではなかったらしい。カサノヴァの場合は百三十人だったと、ものの本にあった。少数精鋭とは云うけれど、それにしてもあっしなど足元にも及ばない。(-_-;)
◎ 写真は、サンマルコ広場の賑わい。この建物は観光客に人気のある、時計塔である。
赤い帽子は、リッチなリッチな中国人団体客。




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