アテネ・フランセの想い出~6
「むかしのフランス語と今のフランス語」に書いたように、この学校は有名人を多数輩出しているので、あっしのような者まで、なにか誇らしげな気分に成ってくる。そのなかに、これも当時はマッタク知らなかったことだが、関口存男さんという怪物がいる。怪物と云えばたしかに大変失礼だが、あっしにはこうとしか表現の仕様がない。というのは、あっしの頭の中では、関口先生は、ドイツ語の先生(「関口ドイツ語」の名を冠した参考書は大ベストセラー)だとばかり思っていたからである。
この方が、J大学の学生でありながらアテネフランセに通い、たったの一年でフランス語をマスターし、翌年には同校のフランス語の教授、さらに8ヶ月後には同じくラテン語の教授になられたと聞くと、思わず耳を疑いたくなる。(@_@;)結局この方は、後年大言語学者として名を成すわけだが…。自分なりの努力はしたつもりだが、すぐに飽きてしまい、あっさり投げ出してしまった紋爺とは、どうやら人間の出来が違うらしい。(-_-;)
学者だけでも凄いことなのに、さらに驚くことは、演劇界でも活躍され、自身新劇の舞台にも立たれ、また有名なボーマルシェの「フィガロの結婚」の脚色まで手がけたとなると、もう開いた口がふさがらない。(@_@;)嬉しいのはあっしの住む佐倉の連隊に勤務されたことがあるというので、まずます親近感も湧いてくる。ご出身もあっしの両親と同じく、兵庫県だ。
先ほどのジョゼフ・コットに話を戻すと、かれは帝大(現東大)の講師から、東京神田の東京外国語学校の先生となった。この東京外語(前記の略称)は、あっしには縁がふかい。また恥を晒すが、若い頃入学試験で落ちたこと、また叔父が東京外語の出身であったこと、また、あっしが中学生のときの英語の先生が、同校の卒業生だったことなど。後年、サラリーマン時代、上司に同校の後身、東京外専のOBがいたことなど。
当時あっしは若気の至りもいいところで、「おフランス」にのめりこみ、原書でフランス文学史を齧ってみたり、フランス象徴派の詩人、ヴェルレーヌの「巷に雨の降る如く」の原詩を覚えようとしたり、同じくボードレールの詩、「エレヴァシオン」を暗誦して得意になったりしていた。哀しいピエロだったというほかない。(-_-;)


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