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戒名もりっぱな名前のひとつ~3

   {つけたり}

下らないといえば、実に下らないが、きょう電車に乗っているう内に、また戒名が浮かんだ。いよいよこの五月から悪評高いサイバンイン制度が始まりますが、これを祝って先ずひとつ。裁判院死刑溺愛居士、続いては、例のリーマンさん用に、米発院痢満大不況居士。白を黒と云い包める方の達人といえばご存じ、北の将軍様へ。閉城院痩身大成功居士。

 つぎは歴史上の人物に移って、ナポレオンには、廃兵院騎乗英姿居士。バイオリンの名手パガニーニには、音楽院提琴超絶居士。

  さいごに、紋空院駄句連発居士とは、一体だれのこと?

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戒名も立派な名前のひとつ~2

  {訂正とつけたり}

>  亡父が生前、あっしのために考えてくれた戒名、年中院酔眼朦朧居士。

 きのう、布団へ入ってから、あっしの戒名が「年中院」でなく、正確には、「深眠院」であったことを思い出しました。親父、御免よ。(-_-;)あっしは子供のころ、ほとんど口を利かず、朝から晩まで、眠ったような眼をしていて、自分の部屋に篭りっきり、居るのか居ないのか、分からないようなありさまでした。

 さて近ごろの世相から、新作をすこうし。大学院大麻栽培信士。プロ野球選手には、制球院宿敵完封居士、愛煙家用には、雲造院杢杢愛煙居士。元タカラジェンヌには、宙月院花雪乱舞大姉なんてのはドーオ?(-_-;)&(^_-)-☆

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戒名もりっぱな名前のひとつ

ひと頃、「名ばかり」管理職だの、「名ばかり」店長などが、連日テレビや新聞紙上を賑わしたことがある。名ばかり、とはよく言ったものだ、とつくづく感心した。これはマイナスイメージの方だが、一方名がついてプラスイメージというのもあり、例えば、「名にし負う」がある。

 ところで未見だが、作家の清水義範氏に「英語、日本語起源説」というのがあるそうだ。 英語のnameが日本語の「なまえ」の訛りだとか。そういえば、外国にも、名前を現す言葉に日本語と似たものが多い。ショウジキ、英語が日本語から発生したとは、到底思えないが、英語だけでなく、ドイツ語もナーメ、印欧語の本家、ヒンディー語では、もちろん、ナーム。っなこたあどうでもいいのだが、ここでひとつ面白い発見をした。英語だと「あなたのお名前はなんですか?」は「ナンですか、あなたの、お名前」となるのが、ヒンディー語では日本語と同じように「あなたの、お名前は、なんですか」となるらしい。やる気はないが、それを知ってあっしはヒンディー語に非常な親近感を覚えた。

 小難しいことはこの辺でおいて、おいておかないと物知らずの紋爺のこと、すぐまた馬脚を現すこと必定。(-_-;)大急ぎで清水氏のところへ戻ると、今更云うまでもないが、このひとは実に面白い人だ。また、何でもまあトコトン調べる人なので、その書きっぷりにわはは、わははと笑い転げながらも、ただただ感心するばかりだ。

 別段、みんなでお願いしたわけではないが、それにこうした仕事は専門職である坊主に任せておけばいいものをこの人、ひとりでしこしこと戒名を研究したらしい。名は体を現すの言葉通り、昔から坊主の考える戒名は、たしかに上手く出来ていて思わず膝を打つテイのものが多い。

 平賀源内の、智見霊雄居士、十返舎一九の心月院一九日光信士などはいいとして、家康の安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士なんぞは、ただ長さで勝負の感がある。

 あのころ、ギネスブックもなかったに、また鎖国をしていてはワールドフェイマスだって望めないのに、とやっかみたくもなって来る。

 なんといっても清水氏がひとり院号に挑戦するくだりが、一番面白い。まず政治家に、衆議院連続当選居士。これは作った本人が、百万円でも買い手がつくと、取らぬ狸の皮算用をしている。美容師をしていた人のヤツは、美容院本日開店大姉。これじゃ、開店祝いで、ついつい飲みすぎて、そのまま往っちゃったような感じもしますぜ、清水さん。(-_-;)

 養老院では、養老院無病息災居士、これはピンコロリの人をイメージしたんかな。ほかに、養老院意識朦朧居士。養老院空腹徘徊居士、これはかなり、ありそう。いくら序でとはいえ、キリスト教のひとの「戒名」まで、考えているのは紋題だ。いわく、修道院参太鞠矢大姉。これもどうかと思うのは、少年院と云う院号。少年院脱走未遂居士。病院では、大病院受付混雑居士。

 つぎはあっしの習作ですが、愛酒家の戒名に、大酒院抱樽徹夜居士。酒といえば、作家の葛西善蔵は芸術院善巧酒仙居士。芸術院も立派だが、みなさんはたぶん、酒仙居士のほうが羨ましいのでは。(^_-)-☆つぎは平等院落書常習居士。ほんとうは、あれはどこかよその国での所業だったが…。崇徳院仁徳有過居士に、本寿院天真爛漫大姉。

 亡父が生前、あっしのために考えてくれた戒名、年中院酔眼朦朧居士。では自分のはこれで我慢して、ひとのを考えましょうか。出れば必ず、大口叩く例のタレントには、洞富貴院年中恵続大姉なんてのはどう。

 うちの息子は大学時代、まいにちが勉強より、マージャンばかりだったので、遊戯院麻雀専修居士。

 みなさん、本名、ハンドル、雅号などいろいろお持ちとは思うが、もうひとつ欲張って、そろそろ、例のものの試作にも取り掛かってみてはいかが?作ったからって、すぐお迎えが来るわけじゃなし。(-_-;)それに、坊主に頼まず、自分でつけても違法にはならぬそうだし、パソコンだってあーた、自作の時代ですねん。ほな、あてはこの辺でいにますさかい、あとはよろしう。(^_-)-☆

  * 清水義範著『名前がいっぱい』

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ミイラだよ、全員集合!

 このほどイタリアの考古学博物館(ボルツァーノ☆)で、世界中のミイラが勢揃いすることになった。世界には見たいところはゴマンとあるが、こういう機会はまたとない。海外にお出かけの方は、今すぐ、行き先を変更してぜひここへ観に行って貰いたい。全60体。題して「ミイラ。永生不死の夢」。

 出場ミイラたちのエントリー・ナンバーは、あっしには分かりませんが、生まれも育ちも葛飾柴又というのは残念ながら入っておらなんだ。(^_-)-☆出身地はミイラ大国?であるエジプトをはじめ、中南米、アジア、ヨーロッパの各地に及んでいる。企画したのはドイツ、マンハイムのライス・エンゲルホルン博物館で、これを期に最新の科学的成果が報告される。展示総数は色々な時代のものをふくめ150点、ほかにマルチメディアによるインスタレーションが10以上もある。その一部がここに公開された。写真の1は、「エッツィー」、2はエジプトのテーベで発掘されたインホテップ、3は二児を抱く珍しい母親のミイラ、6はペルー出身の華やかな衣装のミイラ、9は鳴き叫ぶサルのミイラ、10はプレ・コロンビア期の副葬品、11はボルツァーノ考古学博物館の全容。初めて見るが、なかなか立派な建物だと思う。

☆ ボルツァーノ(イタリアはトレンティーノ=アルト・アディージェ州)は、1991年、アイスマンの異名をもつ氷河に眠っていたミイラ「エッツィ」の発見されたところである。もちろん、そのエッツィーも展示される。

http://altoadige.gelocal.it/multimedia/home/5260047?ref=rephpsp5

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Congratulations! Samurai Japan.

きょうはWBCと高校野球の両方があったので、タイヘン!パソコンでWBCを見、テレビで高校野球。おかげで、年来の斜視が治ってしまった。(^_-)-☆

 でも良かったすね。WBCで優勝できて。韓国とは5回目で、どうかと思って、観戦中は、原原のし通しでした。いえ、ほんとうはハラハラでした。(-_-;)

 もっとも、今回は優勝候補の一角、アメリカが、新大統領のもと、優勝を果たせなかった。このために、世界の景気が一遍に急降下しても困るが。

 また、野球の世界選手権がWBCでほんとうに、よかった。もし、真中のBがなかったら、試合結果はひょっとして、「クッソー」てなことになっていたかも。(-_-;) ー3月24日記ー

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たまゆら~2

                                  **

 泰雄はそれが適正な値段かどうか分からなかったが、青春の思い出の一杯詰まった古着は何物にも変えがたく、先方の言い値どおりの1万円近くで買い取り、家路についた。ところが、翌日のことである。NHKの昼どき日本列島が始まったころ、急にリヴィングの電話がせわしなく鳴った。取ると女の声で「あたしよ。分かる?」「分からないなあ。ドナタさまですか?」「ふふふ、随分、他人行儀ね。あたしだったら」聞いているうち、むかし別れた由美子の声に、どことなく似ているような気がして来た。

 「もしかして、由美子か?」「そうよ。やっと分かったのね。」由美子の明るい声がすぐ返ってきた。それから、10日たった日曜日、二人は私鉄沿線にある、泰雄の街の小さな美術館に来ていた。由美子も泰雄も絵が好きだった。描くほうは揃って駄目だったが、由美子の高校時代の友人に本職の絵描きがいたせいもあって、券をもらったりして、よく上野には行った。その日も、絵を見た後は、明るい日差しの入る大きな窓のある、レストランで昼食を認めた。都合のいいことに近くにはまた小さな公園もあって、その奥まったところで、写真を写すため立ち止まった折、どちらからともなくお互いを抱きしめ、何十年ぶりかの愛を確かめ合った。聞けば、由美子も五年前に夫を失って、いまは独り身と云うことだった。

 週日の午前中のことゆえ、訪れる人の殆どない公園で、手頃なベンチをみつけ、近況を語り合った。30年間連れ添った亡夫と由美子の間には、けっきょく子供はひとりも出来なかったらしい。その夫というのはどうしようもない飲兵衛で、その日も強かに飲んで帰宅する途中、若者の運転する車に撥ねられたのだという。あっけない最後だったそうだ。今はその寂しさを紛らすため、当の由美子はしょっちゅう海外へ旅行に出かけ、もう行ってないところがないくらいだという。一方泰雄は現役時代に会社の出張で東南アジアのシンガポールや、台湾などへ行ったこともあるにはあるが、それも遥か昔の出来事に過ぎない。

 レストランで席に着くと、いきなり由美子は、こんど二人っきりでマカオへ観光に行きましょうと云い出した。あそこは、ポルトガルの影響で、料理も美味しいらしいし、とどこで調べたのか、かなり熱をこめて話した。彼女は昔はどちらかといえば、控えめな女で、本当に目立たなかった。きょうの服装は黒っぽいワンピースだったが、首から下げたカメオが、なかなかいいアクセントになっていた。海外旅行で行ったナポリの工房で、ちゃんとした名のある職人から直に買ったのだそうだ。泰雄はタイヘンな変りようだと思った。以前は服装には殆ど無頓着で、顔もたしかスッピンのことが多かったような気がする。体型からして変った。もともと痩せ型で、眼鏡をかけていたが、今では眼鏡はやめて、コンタクトになっていた。これで印象も大分ちがう。手のかかる夫が居なくなったせいか、ぷくぷく太って、髪には白いものが目立つようになっていた。下唇の下を人差し指でこするクセは変っていない。でもやはり、むかしの由美子とは随分と違う。年月は人を、ここまで変えるものか、そういうものかと、何か割り切れない気持ちもやはり幾らかは残った。

 しかし由美子と再会したことで、妻を失った泰雄の生活に、なにかしらハリのようなものが出てきたことも確かだった。旅行のほうは、旅行社から、日取り、宿泊先など全てが決まり、あとは数日後に、スーツケースを転がしてN空港へ行くだけになっていた。

 出発の前日は小学校の同窓会だった。やはりあの頃の連中にはどうしても、会いたいという気持ちから出席した。生憎幹事がひとり都合で出られなくなり、泰雄がすこし手伝ってやった。責任者のSは大いにそれを恩に着て、ささやかな反省会を開いてくれた。席上そのSに捕まってかなりの酒を飲まされた。最近そう無茶飲みをしなくなっていたので、若い頃はケッコウ酒豪の内に数えられていた泰雄もさすがにふらふらになり、やっとの思いで家まで辿り着いた。夜の10時ころだった。例の古着屋から電話があった。相変わらず愛想のいい口調で、「ぜひ今夜お出でになって下さい。掘り出し物が見つかりましたので。」電話はそこで切れ、そのあとはこちらから何度掛けてもずっとお話中で、とうとう掛からなかった。なんだ、随分思わせぶりな電話を寄越しやがって、と泰雄は戸締りもそこそこに家を出た。

 駆けつけた古着屋で、若い店員が、泰雄の前に出して見せた物は、亡妻との見合いに行くとき、着ていった、想い出のあの服だった。試着室で鏡に向かったが、死んだ女房の幸恵は、きょうに限って姿を現さなかった。これも相手のつけた値段で買い取ったのだが、その時はかなり酔っていたので、前に買った古着を店に忘れて来てしまった。なぜ、要りもしないあの古着をもって出たのか未だによく分からない。たぶん前夜の同窓会での大酒が原因だろう。

 あの服はどうしても手許に置きたい。忘れ物に気がついたのが、翌日のあさの10時ころだった。慌てて店に電話をしたのだが、まったく掛からない。なにか悪い予感がして、件の店まで駆けつけると、店のあった場所は、ただのハラッパになっていて、隅に太い材木が4、5本転がっているだけだった。

 試しに由美子のケイタイへも掛けて見たが、これも繋がらない。旅行社へも掛けたが、そんな方のお申し込みは全く受けておりません、の一点張りだった。それから数日が経過した。近ごろまたふさぎこむことが多くなり、亡妻の仏壇に向かうと、気のせいか、遺影のあたりから「でも、しばらくは、由美子さんと楽しめたから良かったじゃな
いの、ふっふっふ。」と楽しそうな声が聞こえたような気がした。

 あとで人づてに聞いた話だが、由美子はすでに8年前、交通事故で死んでいたそうだ。その旦那はいまでも健在だそうだが、寝たきりの痴呆状態で、地元の施設のお世話になって久しいと聞く。    (完)
      

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『たまゆら』

                               *

 ひと月ほど前に妻を失ったばかりの泰雄は、何をしても心が晴れず、空っ風の吹きまくる淋しい街をただ一人当てもなく、ふらふらと歩いていた。駅の近くへ出たところで、突然現れた大柄の黒っぽい服を着た男に一枚のチラシを渡された。

 男が行ってしまってから、そのチラシを広げてみると、『古着の店リップ・ヴァン・トゥィンクル』とあり、「貴方のお気に入りの古着がたちまち見つかる斯界最大手のこのお店をぜひ一度お訪ね下さい。」と書いてあった。普段だったら、きっとすぐどこかへ捨ててしまうところだが、その日は非常に気落ちしていて、人恋しくもあったので、つい行ってみる気になった。というのは彼にも息子がひとりあるのだが、勤務先が山間の僻地にある所為もあって、亡妻の葬式のころちょこっとやって来たきり、普段はまったく音沙汰がない。こんなに顔を見せない日が多いと、オレもいつか、オレオレ詐欺に引っかかるんじゃないかと思うことさえある。

 泰雄の住む街もご多分にもれず、最近はひどい変りようだが、以前はたしかこんな店は駅の近くにはなかったはずだ。何時の間に出来たんだろうなどと思いながら、歩いていくと、いつの間にか、それらしい店の前に立っていた。泰雄の姿をいち早く見つけた愛想のいい、30代にみえる若者が、直ぐ入り口に現れ「どうぞどうぞ」と先に立って奥へ案内してくれた。どうやらこの男のほかには店員はおらず、一人で店を切り回している様子だった。

 店内は予想通り色とりどりの大小の古着で一杯だった。なんでもこの店はふつうの店とは違い、アメリカの古着は一切置いていないということだった。男はまず、泰雄に生まれた年を聞いた。1932年だと告げると、これが、その年の古着です、と男は一抱えの衣料を奥から運んできた。簡単な説明を加えながら、あれこれ出して見せてくれたが、そのなかにチョッと珍しいものがあった。よく見ると、なんと泰雄が若い頃着ていたものだった。なんで、こんなものがここにあるんだろう。思わず興奮して、「これ、ほんとにオレの若いころ着てたやつじゃないか!」と心の中で、小さく叫んだ。

 「お気に召しましたか?」男はこちらの顔色を伺いながら、「もしかして、これ、お客様がむかし着ていらっしゃった物ではありませんか?どうも、お顔の様子からそんな気がしたものですから」泰雄は「そうなんだよ、これはね、オレがいつも着ていたヤツに間違いないよ。ほれここが少し破れているだろ。それからこのシミだってそうだよ。ほんとうによく今まで残っていたもんだなあ」とつくづく感心しながら泰雄はその古着を持つ手に、ついつい、力が入ってしまうのを感じた。

 「よろしかったら、あちらで試着なさいませんか?」その声に釣られて、かれはもう試着室の方へひとりで歩き出しているのだった。ホールの隅にある小さな試着室で着替えたあと、中の鏡を覗くと、泰雄の顔が、そのころの顔に若返っていた。そうだ、オレはこれを着ていつも夜になると新宿界隈を歩き回っていたな、飲み屋へ行ったり、ニ丁目の赤線を冷やかしたり、帝都座で三本立ての洋画を見たり。

 新宿御苑のあたりでは、在留のフランス人に会って、片言のフランス語で交歓したりしたこともあった。渋谷の道玄坂の近くの薄汚いアパートで、由美子とたった三ヶ月ではあったが、同棲していたのもあの頃だ。お互い若く、金もなかったしすぐ別れることになったが、クリスチャンだという由美子は生まれつき、とてもいい性格の女で、オレには勿体ないような存在だった。由美子とよく出かけた近くの喫茶店や、安飯屋やアパートから50メーターと離れていない銭湯のことなどが頭を掠めた。夕方になると、いつも二人揃って仲良くその銭湯へ出かけたものだ。などと思いながら、ふと何気なく前の鏡をみると、そこにはあの頃のままの由美子が大映しになっていた。

 泰雄は、むかしの女の突然の出現にビックリして、「由美子じゃないか、どうしてる?」と思わず大きな声を出してしまった。こんな大声を出して、あの店員に怪しまれるんじゃないかと、急に気がかりになった泰雄は、試着室のカーテンを捲ってみたが、あの男はどこへ行ったのか、付近には見当たらなかった。再び眼を鏡の方へ戻した時には、もう由美子の姿はなく、ただの鏡に戻っていた。

 カーテンなど、気にしなければよかったと思い、もういい加減感傷に浸るのは止めて、外に出ようとしたそのとき、今度は鏡の中央に、先日葬儀を終え、死出の旅に旅立ったはずの女房の幸恵がこちらを見ていた。「おお幸恵か。どうだ、碌な葬儀も出してやれなくて済まなかったな。あちらでは両親に会えたか。がんで早死した弟の悠一朗はどうしてる?」など矢継ぎ早に尋ねたが、幸恵はその質問には答えないで「先ほどは、久しぶりに由美子さんに逢えて良かったでしょ。あれね、実はあたしがアレンジしたのよ。」と云って、チョッと意地悪そうな笑いを浮かべた。

 しばらく話し合ったあと、泰雄は試着室を出て、店の奥を見ると、先刻の若い店員が、こちらへ向かって歩いてくるところだった。「悪いね、あそこに長いこと入っていて。試着してみたら急に昔のことが色々と目の前に浮かんできてねえ、つい…」と言い訳を始めると男は、「ええ、皆さん、みんなそう仰いますよ。だって、本当に自分がむかし、着ていた服なんですからねえ、ふつう在り来たりの吊る下がりとは訳が違いますよ。次から次と感慨が湧いて来て、当たり前だと思いますよ」と相変わらずの笑顔で応じた。   (つづく)

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田丸久美子著『目からハム』を読んで~番外編2

 今度は、Aさんから、お便りを頂きました。(^_-)-☆

> またまた面白い話題をありがとう。
>
> >  ある男が森の中で熊に出くわした。熊はさっそく男に質問する。
> > 「お前さん、何者だい?」
> > 「わたしは、旅行者ですが」
> > 「いや、旅行者はこのオレさまだ、お前さんは、旅行者の朝食だよ」 

> ねぇ、一番下の、「旅行者の朝食だよ」がわからんです。
> どういうことかな。

  これはねえ、噺家仲間では説明できねえことになってんですよ。これを云っちゃあおしめえだ。ねえ、相手はオッカナイ熊公ですよ。会話が出来ただけ、男は幸せだったてえ訳よ。

 ねえ、聞いて下せえ。だいたい、男が出会ったのは、と考えるからいけねえ。熊の身になって考えてご覧なせえ。朝から何も食ってねえんですよ、腹をすかして森の中をどれだけ歩いたことか。

 ところが、この日は運が良かったんだねえ。有難てえことに、この「旅行者」のまん前に、美味しそうなご馳走が、自分から飛び込んできたんですぜ。こりゃあ、たまんねえや。

 次から次と、つばが湧いてきて、もうどうしようもねえ。この期に及んで、呑気な平和ボケの男は、まだ、このオレさまに親しそうに話しかけてくる。どうせ長くは生きていられねえわけだから、今しばらくの時間を与えてやろう。オレさまの胃袋に納まるのも、もう時間の紋題だからな。(^_-)-☆

 てんで、死に行く人間を、チョッピリからかってみた、まあ、そんなところですよ、ヘッヘッヘ。しかし、ナンだね。食ったはいいが、人間の年寄りの肉ってのは固い紋だね。とうとう前歯二本オッ欠いちゃったよ。こん次から、もう人間は真っ平御免だ。(-_-;)

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田丸久美子著『目からハム』を読んで~番外編

  田丸久美子さんの『目からハム』の記事について、kさんからこんなレスがありました。

>>  ところで眼からは、うろこや、ハムばかりでなく、火も出ますね。子供のころ、出会いがしらに頭をぶつけて…そそっかしいので、よくやりました。(-_-;)
> わたしめ、いまもって、やっております。(@@)先日も おじぎしたとたん、机の上に 何か 硬いものがあったらしく それに気がつかないで ふかーーーく お礼をしたとたん、 ああ 目から 火花(><)  とほほ

 kさん、あなたも同じ体験をお持ちと聞いて、すっかり安心致しました。(^_-)-☆こういう貴重な体験は、世界広しと言えども、あっしだけだと…。

> 私めも米原万理さんの大ファンです。 田丸さんの本も 読まねば!!  ありがとうございました。

  Kさん、まいどご丁寧なレスポンス、ほんとにアリガト。(^_-)-☆

 万里さんも沢山書いたので、これだけと思われても困りますが、あっしの一番好きなやつ(小咄)をひとつ、この機会に紹介させて下さい。

 ある男が森の中で熊に出くわした。熊はさっそく男に質問する。
「お前さん、何者だい?」
「わたしは、旅行者ですが」
「いや、旅行者はこのオレさまだ、お前さんは、旅行者の朝食だよ」 

  では、今日はこの辺で、御免なすって。

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みなさん、「山川惣治を知っていますか?」~2

30

 地元の美術館でやっている山川惣治の展覧会をみに行ってきましたが、展示もトゥーフロアをたっぷり使っているので、かなり見ごたえがありました。

 あっしは山川惣治という絵描きはもともと、あまりよく知らなかったんですが、かれの画業のそもそもの始まりから、その人生を丹念に追っていくような構成だったので、非常に分かりやすく、なかなかみて面白かったです。

 初期のころは水彩なんかも書いていて、しかもそれが歌舞伎をテーマにしたもので、たとえば、「曽我五郎」だの、「児雷也」なんかが出てくるのです。

 自画像なんかは、コンテを使ってましたし、画材は鉛筆、絵の具を始めいろいろです。ペンで描いたのなんか、じつに緻密です。ボールペン一本で描いたのもありました。会場は撮影禁止なので、なにもお見せできないのが残念です。(-_-;)

 面白いのは、かれの活躍した昭和30年代の風景が、いろいろ趣向を凝らして、館の玄関ホールに再現してあったことです。その一部をチョッピリ(^_-)-☆

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みなさん、「山川惣治を知っていますか?」

09

 ことしが生誕100年になるという、その「山川惣治展」をきょう見に行きました。折からの雨にも関わらず、午後2時からのギャラリートークには20人近くがあつまり、係りの学芸員は嬉しい悲鳴を上げていました。

 山川惣治は、例のウィッキーでみても、ほんの5,6行で片付けられているようですが、一時は紙芝居の絵を描いたり、紙芝居の貸元をやったりしていました。その紙芝居に限ってみても、もスゴイのは、だれでも知らぬ人のない紙芝居の大傑作「黄金バット」を、その王座から蹴落とした、というだけをみてもその力量の程が偲ばれます。

 山川の名は知らなくても、「少年王者」「少年ケニア」なら聞いたことがあるという人なら、きっと大勢いることでしょう。その活動時期が、昭和の時代とほとんど重なっているので、昭和生まれの人の中には、これらの作品から力を貰ったひとたちもケッコウ多いのではないでしょうか。

 学芸員の説明のお陰で、製版工だった惣治が、若い頃、仕事の合間に、川端画学校などで正式に絵を学んでいたことも知りました。冒険物はアメリカのターザンや、ハリウッド映画の影響があったようですね。彼はアメリカの映画が好きで、早くから役者の看板絵のようなのを描きまくっていたとか。そう云われてみると、確かに彼の絵はバタくさいようです。

 マンガにUFOを登場させたのも彼が草分けであり、その先見性にビックリさせられます。紙芝居の貸元だけでなく、終いには自分の劇画を専門に扱う出版社まで作ったようです。

 晩年は、あっしらの街へ越し、今までやらなかった油彩画まで初めました。会場にあった「ホワイトバッファロー」は亡くなる平成4年に描かれたにしては、実に力のこもった作品です。脇にある横尾忠則蔵、という文字の意味の説明もありました。

 これは惣治が、当市宮ノ台のマンションで、チャリティーの絵画展を開いた際、有名なイラストレータの横尾氏が、その会場に姿を現し、どうしても欲しいと云ったそうです。しかし、すでに同作品は、ある人の手に渡っていたようです。根っからの惣治ファンであった横尾はそれでも欲しく、その思いを惣治に話すと、快く同じ作品を再び描き上げてくれたそうです。それが、横尾への形見になってしまったそうです。

 雨にもめげず、集まってくれた熱心な客の姿に感動したのか、担当の学芸員は予定時間をかなり超過してまで、大サービスをしてくれました。集まったあっしらも、大満足の鑑賞でした。

 写真は惣治の紙芝居の絵です。「そうじ映画社」の文字が読み取れます。

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田丸久美子著『眼からハム』を読んで ~3

同書中には、じつは彼女の職業上の失敗談も豊富に書き込んであったのだが、図書館の返却期限がさし迫っていたので、大慌て読んだせいか、残念ながらあまり記憶に残っていない。(-_-;)

  いま、一つ思い出したので、忘れないうちに、ご紹介しておく。

 あるとき、実業界の大物の通訳が回ってきたことがあり、話が進むうち、ついうっかりして、タイヘンな誤訳をしてしまったらしい。

 すぐ気がついて訂正はしたらしいが「複式簿記」というべきところを「二重帳簿」とやってしまった。相手がイタリア人なので、二重帳簿など朝飯前など、あっしらでさえ、何となく思ってしまう。以前、イタリアのある町の町議会で、身障者には特別補助金を出すという法案が可決された途端、その町にきゅうに身障者(のような格好をした)の町民が増えたとか、聞いたことがある。

 申請書の受付開始日には、役場の窓口に、松葉杖をついたり、体中包帯だらけの申請者が長蛇の列を作ったとか。(-_-;)

 ☆ ちなみに、辞書を引くと両語は、たしかに、酷似している。

  複式簿記  contabilita a partita doppia

  二重帳簿    doppiacontabilita
 

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田丸久美子著『眼からハム』を読んで ~2

> 著者の筆鋒は、珍事の続出に笑い転げているうち、帰国子女や読者の、日本語知らずにも向けられ、思わずハッとさせられることが多い。イタリア語の表現も、随所に散りばめられており、初学者の勉強にもなる。

こういう商売をしていると、ケッコウ社会的地位のある人と会うことが多いと云う。ところが、そういう人たちの中に、可笑しな日本語を使う人が多いと云う。その社長さんたちの日本語を、参考までに下記に記す。

 第一は読み方、

〇 知己(チコ) 暴露(ボウロ) 破竹(ハタケ) 国際市場(コクサイイチバ)
  足跡(アシアト)

 第二は云い間違いというより、間違って覚えたか、初めから知らなかったもの。

〇 「対岸の火事」を「他山の火事」 「百聞は一見に如かず」を「一見は百聞に如かず」

 第三は、社会常識の紋題、

〇 「ドルチェ・エ・ガッバーナ」を、お菓子の名前と間違う。←ドルチェとつけば、すべてお菓子とは限らない。 

 ま、これを読んで、常々『薄識』をもって任じるあっしなんぞは、みなさんと違って、笑ってばかりもいられないが…。(-_-;)

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田丸久美子著『眼からハム』を読んで

 この本はだいぶ前、某紙が読書欄で紹介したもの。田丸さんは処女作から愛読している。元はといえば、彼女の親友であった、米原万里さんの本でその名を知ったのだった。

 米原さんは惜しくも病に倒れ、すでにこの世の人ではないが、田丸さんが彼女の分も頑張って、その著書もついに三作目になった。

 まず「眼からハム」とはずいぶん人を食った題名だと思う。イタリアでは眼からうろこをこう云うらしい。確かに、この本を最後まで読めば、だれでも眼からハムが落ちる仕掛けになっているようだ。

 又、副題にシモネッタのイタリア人喜劇とあるが、彼女にはイタリア語同時通訳者の他に、下ネタが得意と云うもう一つの顔がある。これは素質と云うより38年間イタリア人と付き合ううち、徐々に形成されたものだと思いたい。

著者の筆鋒は、珍事の続出に笑い転げているうち、帰国子女や読者の、日本語知らずにも向けられ、思わずハッとさせられることが多い。イタリア語の表現も、随所に散りばめられており、初学者の勉強にもなる。

あと、章立てが芝居のように、第一幕、第二幕と進む☆のも面白い趣向だ。言葉を商売にする著者の気迫が行間ににじみ出ている。特に言葉に関心の強いシニアの読者に勧めたいと思う。

 ☆米原さんの、ある著書では、著者自身を料理人になぞらえ、目次の最初が「シェフからのご挨拶」、アペリティーヴォ、アンティパスト、第一の皿、白ワイン、第二の皿、ロシア風サラダ、赤ワイン、チーズ、デザート、とつづき、コーヒー、食後酒でめでたく「完」となる。

 これはあっしが思うに、もし編集部の入れ知恵でなければ、妹の井上ユリ(井上ひさし夫人・イタリア料理研究家)のアドバイスかも。

 米原さんによれば、ガセネッタがスペイン語通訳の横田さんで、ウラネッタがご本人、シモネッタがこの、田丸さんということになる。団子三兄弟ならぬ、オモシロ三姉妹と云ったところか。もともとはこの、シモネッタなる「芸名」は、米原さんが仕事上の師匠(やはり、ロシア語の同時通訳者)から頂戴したものだそうである。

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ああ、ファンタスティック街道!~3

犯行後、犯人の少年はクルマで40キロ走ったがいまはもう逃れられないと覚り、近くのスーパーの駐車場で自殺したよし。やはり、こういう事件では情報が錯綜し、当初は犯人は警官に射殺された、というようなニュースも新聞紙に出たりした。

 犠牲者(9人が生徒で、3人が教師、さらに通行人が3人の合計15人)や、負傷者(7人)の殆どが女というから、もしかしたらこの少年が女に振られたことが事件のきっかけになったのではという見方もある。また。使用したピストルは、ガンマニアで、またコレクターでもある、父親のものだった様だ。

 本人も銃器に異常な興味を示し、しばしば標的を狙って練習する姿が友人に目撃されている。また、ホラー映画のdvdも何百と集めていたようだ。

 家庭環境にも恵まれ、父親は裕福なビジネスマンだとか。

 読者の皆さん、自分がもし、裕福なビジネスマンであったばあい、銃器のコレクションだけはお願いですから、止めて下さい。たのんますよ。  ではでは。

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ああ、ファンタスティック街道!~2

仲良しのクラスメートが命を絶たれた学校の校庭に、花を手向ける人たちの姿。最近では、もう珍しい風景ではなくなってきた。しかし、現地は深い悲しみに包まれている。蝋燭の傍らに書かれた「なんで?」と云う言葉が全てを物語っているようだ。

 かの地のお寺ザンクト・カルルボロ-メウス教会で行なわれた、夜の集会には数百人の弔問客が集まったとか。

 互いに抱き合う子供たちの姿。その悲しみは言葉では言い表せないほど、というキャプションが付く。

 百鬼「夜行」でなく「昼行」の時代はいつ終わるのか。


http://www.merkur-online.de/nachrichten/welt/mm-fotostrecke-unendliche-trauer-winnenden-100468.html

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ああ、ファンタスティック街道!

ドイツのシュトゥットガルトといえば、放送交響楽団などが思い浮かぶ。ガイドブックでは、ファンタスティック街道などというケッコウな名前のついた、街道筋にあるようだ。この近郊で、血なまぐさい発砲事件が。しかも中学にあたる実科学校で。すでに先生、生徒を含め15人も死んだらしい。犯人はもとこの学校の生徒で、すでに警官によって射殺されたとか。

 アメリカでも、同時に発砲事件が起こっているらしい。こうなると、もう「発砲」事件を通り越して、そのうち「八方」事件と呼んだ方がよくなるかも。(-_-;)

 銃を持っているのは、一体「ドイツ」だ、などとフザケては、いられなくなるかも。(3月11日記)

http://www.merkur-online.de/nachrichten/welt/amoklauf-badenwuerttemberger-schulezwei-tote-100122.html

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ダ・ヴィンチ若かりし頃の顔~5

  またまた、Tさんから反応がありました。(^_-)-☆

>  とりあえず、5枚目以降眺めたんやけど、シェックスピアいうのは、斜視でしたんやろか?
>  右目と左目が、ロンドン&パリに描いて有るよって、かなり酷い斜視で、どっちかの、眼
> でしか、見えへんかった、思いますわ。
>  「見るべきか、見ないで置くか、それが問題だ」と云うんやったら、分からん訳やあれへんけどーー。

 さすが、Tさん、「斜視」とは、めえのつけどこが、やっぱ違いますな。それから、5枚目でっか。なんでも、あのお方、ほかの時は知りまへんけど、喜劇を書くときに限って、3枚目の顔で書きはったらしい。余白に小さく、そないな説明が書きくわえてありましたで。(^_-)-☆  ほな、またその内に。

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二匹目のドジョウ

 ダ・ヴィンチで味を占めたので、、またまた実像でご機嫌を伺おうという魂胆か?今度はイタリア人でなく、舞台はイギリスへ移って、話題の主は「ハムレット」や「ロミオとジュリエット」でお馴染みの大劇作家、シェイクスピア。

 わが国では、昔は「沙翁」などと云っていたらしいが、まさか生まれた時から「翁」ではなかったろう。(^_-)-☆あっしはこの人物はどうも怪しいと睨んでいる。昔から、実際はそんな人物はいなかったなんて話をよく聞かされたし、本当はかれはイタリア人なんだとかいう噂もあるくらいだ。いまだに、多くの謎につつまれた謎の人物。

 公開されたこの画をみると、額がひろく、顔立ちも整い、なかなかにエレガントな感じだ。何でも、沙翁在世中に描かれた、唯一の肖像画だそうだ。地元の専門家も本人に間違いないと太鼓判を押していると云うから、たぶん、こんな顔をしていたのだろう。

http://www.repubblica.it/2006/08/gallerie/spettacoliecultura/vero-volto-shakespeare/1.html

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ダ・ヴィンチ若かりし頃の顔~4

  Tさん、またまたの、レス、おおきに。(^_-)-☆

> ちょっと、気が付いたんでっけど、若い頃非公式にメモ的に描いた紋やったら、
> 鼻にコンプレックスが有って、多少自分の気に入る様に描いたゆうことは
ありそうでっせ。一流の画家ですもん。

 あっしはその意見には反対ですわ。もしそれが(つまりそのデッサンが上手にでけとったら、ダ・ヴィンチかて、わざわざその上に字い書いたりせえへん、思いまんねん。)書く紙が見つからなかったさかい、自分か弟子の書き損じに、自分の大事な研究成果を書いたんやないかと、そない思うとります。

> そう、いえば、このピエロアンジェラ氏の鼻にも似てる気もして
来ましたわ。

 自分の鼻に似てるんで、その鼻が気に入って、今回の発表になったとか。(^_-)-☆

> 鼻ははなはだ、難しますなあ!

鼻は昔から「鼻も恥らう」なんという言葉もあり、、また芸人にも「鼻始め」いう名のお人があったくらい、とてつもなく大事な部位でっせ。(^_-)-☆中国では「眉目秀麗」とかいうて、めえが一番大事なんかも知れまへんけど、西洋には「クレオパトラの鼻がもう少し高かったら、歴史は変わっていただろう。」なんたらいう名紋句もあるさかい、あちらでは、鼻もケッコウ大事なんとちゃいまっか。

 鼻といえば、こんなことも思い出します。杉田玄白が書いた「蘭学事始」たらいう本に、人体の説明で、フルッへッヘンドという言葉が出てきて、ここでにっちもさっちも行かなくなった。ところが、手許に辞書(当時辞書は物凄く高価だったようで)もなく、簡単な単語集を見たところ、庭掃除のとき、掃き寄せたゴミがフルッへッへンドすると書いてあったので、ここで、ああさよか、これは「うずたかくなる」ちゅう意味だなと覚り「鼻は面中にありて堆起せるものなれば」フルッへッヘンドは堆し(ウズタカシ)という意味と分かり、小躍りして喜んだ、というようなことが書いてあります。その時の喜びは「連城の玉をも得し心地」だったとか。←そないに云われても、あっしには、よう分からへんけど。(-_-;)

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ダ・ヴィンチの若かりし頃の顔~3

  Tさんより早速、下記のレスポンスがありました。いつもアリガトウございます。(^_-)-☆

>  でも、まあまあ似てまんなあ。イタリア人の人相はわからへんけどーーー。
>  自画像というのは、かなり、高齢になってから、描かれみたいやしーー。
>  若い頃は鼻先が尖ってたんかもーーー。???。
  
  顔と云うのはよくわかりませんが、やはり眼が一番大事なんでしょうね。主眼とか眼目とかいいます紋ね。また、仏像でも、最後に魂を入れるときは開眼といって、眼を描き入れますよね。

 警察の捜査の場合、目撃者は、犯人像について、あまり鼻のことを云わない様ですね。それに反して、眼や口については、触れることが多いような気がします。つまり、あまり鼻には注意しないんでしょうね。勿論警察官が、鼻はどうでしたと水を向けると、大きな鼻ではなかったとか、鼻筋が通ったとか証言することもあるようですが。

 絵を描く場合はどうでしょうね。眼や口が大事と云ったって、鼻だって顔のど真ん中にあるので、重要度は変わらないと思うんですが…。細い鼻とぶってい鼻では、ずいぶん印象もかわると思いますがね。髪形や眼や口は合っていても、鼻がねえ、なんて。

 芥川龍之介の『鼻』は13世紀ころの「宇治拾遺物語」などから取ったそうですが、あのころは鼻もエラかったんですかね、もっとも長さが18センチもありゃあ、まあ普通じゃないですからね。異常と云うか。(^_-)-☆

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ダ・ヴィンチ若かりし頃の顔~続報

> そのピエロ・アンジェラ氏。あっしはこの人を、よく知らないんですが、レオナルドの若き日の画像を発見したそう>です。どこから?ダヴィンチの鳥の飛翔の研究は有名ですが、この研究ノートの中に、彼自身の手になる貴重な>自画像があったそうです。 みなさんはこの、青年ダヴィンチの顔を一度見てみたいとは思いませんか?

 先日(というのは3月1日)あっしがこのように書き、また内外の各新聞でも、そのように報道されましたが、そのあとになって、あれはダ・ヴィンチの自画像ではないという意見がでて(例えばレオナルド研究専門の『レオナルド3』というグループ)、専門家の間でも疑問視する動きがあり、科学ジャーナリスト、ピエロ・アンジェロ氏への評価は二つに割れているようです。

 とくに鼻の形が違うそうです(今度のはゴツイ)。この三つの写真(左から、トリノにあるレオナルドの真筆とされる自画像、弟子のフランチェスコ・メルツィが描いたレオナルド像、今回の、アンジェロ氏が、自画像と主張している像)で比較してみてください。  (3月7日記)

http://www.corriere.it/Primo_Piano/Cronache/2009/03/07/pop_leonardo.shtml

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ダ・ヴィンチの若かりし頃の顔

 ダ・ヴィンチの年老いた顔はよく知られていますが、若いころの顔は今まで知られていませんでした。それを、イタリアのピエロ・アンジェラ氏*が発見したという大ニュースが今はいりました。

そのピエロ・アンジェラ氏。あっしはこの人を、よく知らないんですが、レオナルドの若き日の画像を発見したそうです。どこから?ダヴィンチの鳥の飛翔の研究は有名ですが、この研究ノートの中に、彼自身の手になる貴重な自画像があったそうです。
みなさんはこの、青年ダヴィンチの顔を一度見てみたいとは思いませんか?

 http://tv.repubblica.it/copertina/trovato-da-vinci-da-giovane/30003?video&ref=hpmm

 * 1028年トリノ生まれの81歳。ケッコウ有名なジャーナリストらしい。あちらでは、作家、科学知識の普及運動家、そのほか音楽関係など、多方面で活躍しているというが。

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ビックリニュース!

  アメリカはミシガン州の病院で、二つの子宮をもつ婦人が双子を産み、母子ともに健全だそうだ。妊婦のサラ・レインフェルダー(21歳)さんの子供は、いずれも女の子で、体重は長女が3ポンド15オンス、次女が4ポンド15オンス。新生児は肺の機能が十全でないので、さらに3~4週の入院が必要とのこと、また、担当した医師は、こういう場合の双子は、非常に珍しいケースだ語ったという。各々の子宮で一人ずつ別に育った。

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事故にあったトルコ機の内部

 これはさる2月25日、オランダの空港で墜落したトルコ機の写真。乗客の一人が降りる前に自分のケイタイで機の内部を写した貴重な映像です。

 http://tv.repubblica.it/copertina/aereo-turco-filmato-con-il-cellulare/30007?video&ref=hpmm

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小便小僧もメタボ?

 世界同時メタボ進行中を象徴する出来事があった。例の小便小僧までが、肥大化してメタボの標本のようになってしまった。(-_-;)と思ったら、そうではないらしい。

 ブラッセルはことし、マンガ年にあたるらしく、そのオープニング・パレードの一齣というわけ。小便小僧のほかにも、恐竜やわんこやお巡りさんなど、大きな風船がたくさん登場したので、子供や観光客もさぞ大喜びしていることだろう。

  http://foto.nieuwsblad.be/1630404147

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人間犬の第一声は?

しょっちゅう戦争があったあの頃、前線で死ぬ前に兵士は何といったか。「お母さん…」、たしかこの一言で、決して「お父さん…」とは言わなかった。(-_-;)

 犬が人間の言葉を覚えても、まず第一声は、やっぱり人間と同じらしい。しかし落語『元犬』ではないが、人間の言葉をとにかく一語でも、喋べれるというのは、犬になるまえは、やっぱり人間の片割れだったのか。

 http://video.corriere.it/?vxSiteId=404a0ad6-6216-4e10-abfe-f4f6959487fd&vxChannel=Dall%20Italia&vxClipId=2524_785585be-02a2-11de-adb7-00144f02aabc&vxBitrate=300

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もと酔っ払いの『酔っ払い談義』パート5

世の中には、養老伝説に見るように、酒の湧く泉というものが確かにあった(らしい)。ところが、酒の泉があれば、話の湧く泉だってあるはず。これを『話の泉』という。なんだ、それは、むかしのNHKの有名番組の名前じゃないか、と仰るかも知れない。あっしがこれから始めようとしている話が、その話の泉のように、つぎからつぎに、酒にかかわる話を、生み出してくれればいいなと思う。紋爺は酒仙にはどう足掻いてもなれそうにないので、せめて酒泉の話で取り繕うしか能がない。

 いやあ、そんなこと云ったからって、あ~た、あっしはいつも云うように、全国受け売り本舗の代表者ですからね。書くことはすべて、ひとの受け売りなんすよ。それを承知の上で、これからは、ひとつおねげえしやすよ。

 酒といえばまず、いつ行っても美味そうな酒がボコボコ湧いている泉があったりしたら、こりゃあ御の字だと、それは、誰しも思いますよね。それがある、いやあった。お隣の中国にはね、「酒泉」なんという酒飲みにはもう、堪えられないような、ケッコウ毛だらけな地名があるんすよ。

 武帝の時代に、霍去病というものが、泉に酒を注いだところ、泉全体が酒にかわたったという。日本のばやいとちがって、呼び水と云うか、予備酒がいるところが、イマイチだ。しかしそれにもかかわらず、日本からも観光客が大勢訪れるらしい。

 酒のわく泉。西洋ではどうかと、ゆうべ物置のイタリア民話(だけでなく、酒ッティ、いやまつがえた、フランコ・サケッティの『ルネッサンス巷談集』まで)をしらみつぶしに当たってみたが、ワインの湧く泉の話はとうとう見つからなかった。(そのかわり、別の面白い話はいくつか見つけられた)油のわく泉というのは、なんとか見つかったが、ワインはなかった。(-_-;)でも、これが食用油なら、これからの生活防衛にいくらか役立つかも。(^_-)-☆

 ところで、ワインはよく色分けされる。赤、白、ロゼといったように。日本でも清酒と濁り酒という風に。また度数でわけたり、ボージョレー・ヌーボーなどのように出荷の時期でわけたりもする。中国の白酒は、匂いによって分類(香型)するという。ワインでも、ボトルの裏に「このワインはフルーティーな香をもち、」などと書いてある。日本酒だと、飲み口の爽やかさや、男らしい切れ味なども紋題にされるらしい。

 だんだん、時代が経つにつれ、酒飲みも、酒器にまでるさくなってくる。みなさんは、どんなものをお使いだろうか。あっしは、この方面に詳しくないのでありあわせの物で飲っている。あやさんはお猪口に興味がおありだそうだが、日本酒に限らず、ワインやビールでも事情は同じだ。

 ビールだとガラス製のジョッキで飲るのが普通だが、蓋つき陶製のジョッキでないと駄目な人や、錫器などで飲みたがる人もある。また、ワインなどを切子細工のグラスで飲るのが一番、と云う人もあるようだ。あっしは、ごく当たり前のワイングラスを使うが。

 酒器で思い出すのは「夜光杯」。甘粛省の酒泉でも、お土産屋で売っているようだが、なぜ有名か。ここに王翰という唐詩人があって、「涼州詞」という七言絶句を書いた。この出だしが『葡萄美酒夜光杯』というのだ。この地は昔からワインの名産地だったのだ。中国のワインの歴史も実に古い。この夜光杯は月光に照らされたワインのことなのだが、現実の杯は、この酒泉あたりで、作られているらしい。

 物知りによれば、キレン山脈より切り出した玉、これを磨いて作る。明かりの下では、石によって複雑な美しい色彩に輝くと云う。ひとつ千円くらいで手に入るらしい。あっしなぞ、夜光杯なんて、ネームミングにまず、惹かれますね。

 これ以上書くと、長すぎてわが愛読者を悩ますことになるかもしれないので、ま、この辺で筆をおくこのが得策か、と…。長らくご愛読の諸兄姉に、ココロから感謝を捧げる。(完)

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もと酔っ払いの『酔っ払い談義』パート4

 「かっぱえびせん」ではないが、止めたくても止められないのがお酒で、昔よくマンガになったのが「禁酒」という書初めで、まいねん今年こそとは思い、決意を新たにするのだが、数日中にこの誓いは破られるてしまうのがお決まりだ。

 禁酒の難しさについては、ここに面白い証拠がある。例の酒飲み詩人、杜甫に、こんな詩があるのだ。「止酒」という、そのものズバリのタイトルがついている。もとより、この酒飲みに、簡単に止められるわけがないわけだが、お終いの所に、止めるくらいならおらっちは死んだ方がましだというようなフレーズが出て来る。そこで読者は、初めて安心するという、実に凝った仕掛けが用意されているのだ。

 そこまで行く前の弁解が、また面白い。今まで止められなかったのは、第一に止めれば楽しみがなくなり、第二に夜の一杯を止めれば、眠れなくなるし、第三に、朝のを止めればこんどは起きられない。また、毎日そのことばかり考えていると、血の巡りが悪くなるし、止めて、いいことがとうとう一つも見つからなかった。そこで止酒になる。ここから、さっきの死んだ方がマシにつながるわけ。

 同類は他にもいて、北宋の梅尭臣と云う男、大酒飲みで有名だったが、さすがによる年波で、昨今は吐いたり、腹を下したり、二日酔いで起きられなくなったり、部屋がぐるぐる回ったりと不都合な現象がつぎつぎ現れるようになった。そこでやめようと思うのだが、そう思ったとたんに、タイミングを合わせたように悪友からお誘いの手紙。もちろん、これはココロを鬼にして断った。暫くは停酒がつづいたが、そのうち、べつの友だちから、もうそろそろいいんとチャウ、お酒は百薬の長でっせ、というわけで、懇篤なお誘いの、こんどは、長~い長い友情溢れる手紙が届いた。もともと意志薄弱なこの男、あっさりと白旗を掲げて、降参したと。他にも、同類はいくらもいるらしい。(-_-;)


 <閑話休題> ここでゆくりなく、紋爺はバラクーダの「日本全国酒飲み音頭」の歌詞を思い出した。杜甫も一口にこんな男だったのでは。一月は正月で、ニ月は豆まきで、三月はひな祭りで、四月は花見で、酒が飲めるぞ。ま、場所が中国なので出てくる行事は、多少は違うでしょうが…ね。(^_-)-☆

 中国の話で始めたので、酒と云う字の話でもしますか、書いてる本人が文字老だから、ちょうどいいでしょう。(^_-)-☆中川ショウイチさんでなく、山田正一さんによれば、酒と云う漢字は、「とくりびと」ではないが、徳利の形がもとで、中国では時代によってこれが様々に変わって行ったらしい。スゴイのは、この酒の字を生涯かけて収集したコレクターがいて、その数なんと八百一字にもなるという。西宮酒造の社長をつとめた伊藤保平さんだという。

 コレクタの執念☆にはいつも驚かされるが、このひと、中国の「酒」だけでなく、日本人作のものも多数集めていて、そのなかには、古くは聖徳大使、菅原道真、豊臣秀吉、あたらしくは、松尾芭蕉、木戸孝允、正岡子規、西園寺公望などがある。

 ☆ 大田区立郷土博物館館長をしておられた、西岡秀雄さんの、ハエたたきの収集はハンパじゃない。なんと、世界30カ国、およそ130点におよぶという。(@_@;)

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もと酔っ払いの『酔っ払い談義』パート3

 「おくりびと」がアカデミー賞をとったので、あっしも負けずに「とくりびと」で対抗したい。これは毎晩「とくり」が傍にないと、落ち着かない、そういう人種の物語だ。このあいだ、息子が来たので朝はどんな食事をしてるかと聞いてみたら、バナナ一本だという。いくらバナナがよくったって、これだけで栄養の方は間に合うのかしらと思った。

 ところが、日本画の大家、横山大観は、食事は三度とも日本酒、それだけで済ませていた、と。「先生、ご飯はいっさい召し上がらないんですか?」と云う問いには、「ワッハッハッハ、きみぃ、お酒もお米の親戚じゃなかったかね。」生前、先生のお好きだった銘柄は『酔心』だと。

 古代ギリシャのプルタルコスのころ、宴会の幹事と云うのが既にいた、というのもオドロキだ。これが今とちがって、当日の会場で選ぶんだそうである。乾杯や余興などを取り仕切っていたらしい。

 宴会では、かなり悪どいイタズラや馬鹿騒ぎで盛り上がることもあったようだ。たとえば、ドモリの人に歌を強要したり、髪の毛のない人に櫛を渡したり、といったことまでやったらしい。しかし、その敵討ちもあって、足の病的に細い人が、片足立ちでグラスを干してみろと云われ、自分の番が来たときに、こんな仕返しをしたという。

 非常に細いつぼの酒を、その細い足で空にして見せ、同じことをやるよう全員に提案した。一同は足が太いので、だれもクリアするものがなく、全員が罰金を払わせられたそうだ。

 それから、プロの『笑わせ屋』の悲劇もあった。クセノポンの宴会で、かれは大勢のお客の前で自分の得意ネタをやったが、だれも笑うものがない。あせった彼は、ついに取っときのヤツをぶっつけてみた。ところが聴衆は、それでもひとりも笑わない。ついに、この男、「これじゃあ、おれの面目がダイナシだあ。」と、その場でおいおいと泣き出したという。けっきょく、みんなで寄ってたかって「この次はよう、かならずな、笑ってやるからな、な、な、泣くなよ、泣くなったら。おまえ、男だろ」などと言葉を尽して慰め、やっと幕切れになったと。

   参考:プルタルコス「食卓歓談集」

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