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続・たまゆら(番外編)

  このあいだ、ナチュラリストの植木さんがうちへ遊びにいらしたとき、うっかりしていたらしく、あたしの部屋に、ご自分のノートを忘れていった。あたしは、悪いとは思ったけれど、チョッと中身を覗いてしまった。以下は植木さんの日記です。まだ極楽に着いたばかりの頃のものらしい。読んで分かったけれど、ケッコウ好奇心の強い人らしい。あたしなら、こんなには調べたりしない。

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            植木さんの日記(の一部)

×月×日 家の近所に大きな蓮池があった。ここには色々な色の花が集められているらしい。きのう読んだ本では、ハスの花は仏教のシンボルで、蓮華にはつぎの五種類がある、と書いてあった。それは、紅蓮華、青蓮華、青蓮、黄蓮華、白蓮華で、有名な『妙法蓮華経』が白蓮華のように優れた経、という意味だと知った。

 俺は生前サンスクリット語など覗いたこともなかったが、元の名、サッダルマ・プンダリーカ・スートラのプンダリーカが、この白蓮華なのだそうだ。サッダルマはここでは妙法だから、スートラというのは経のことだろう。

 なお、法華経の従地涌出品に、弥勒菩薩(マイトレーヤ)が、世間の法に染まらざること、蓮華の水に在るが如し、と云われた、そんなところが出てくるというので、早速書斎から古い岩波文庫をひっぱり出してきて、血眼になって探してみた。中巻の318ページに「善学菩薩道 不染世間法 如蓮華在水」と出ていた。また、無量寿経には、極楽の蓮華に百千億の葉っぱがあって、その葉っぱから無量と云う、数知れぬ光明が輝き出ている。その一つ一つの光明から、数限りない無量の仏が現れる、とある。これはスゴイ。俺はここの箇所を読んだ途端、興奮のあまり飛びあがってしまった。そうしてまた、無量寿経を探し出し、該当箇所をさがし始めた。今度は1日では見つからなかったが、3日目にやっと見つけた。一一華中、出三十六百千億光。一一光中、出三十六百千億仏。たぶん、ここだ。

 よ~し、俺は明日から愛用のカメラ担いで蓮華の撮影に挑戦だ!それでは、すぐカメラの整備に取りかかろう。                     (つづく)

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続・たまゆら

 登場人物: 泰 雄    この物語のヒーロー。
         幸  恵   同ヒロイン。最近、極楽入りした。泰雄の亡妻。
         由美子   交通事故で死んだと伝えられているが真相は不明。若い頃、泰雄と同棲していたらしい。
         翔 太    泰雄の孫のひとり。        その他。

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 幸恵も最近ではどうにか極楽での暮らしぶりにも慣れてきたが、ここではあまりにもすることがなく、その点が不満といえば不満だ。食事の時間になれば、自然にテーブルの上に、この上なく美味しい料理が現れるし、今までのような洗い物の必要もなく、洗濯もだれがするのか、いつの間にか終って、すべてがキレイに折りたたまれ、いつも洒落たデザインの箪笥に、きちんと収まっていた。もちろん、掃除も「見えない手」がやってくれる。

 住居から大して離れていないところに、こざっぱりとした公園があり、木々の間では四季を問わず美しい花が咲き誇り、いろいろな種類の鳥達が爽やかな声で囀っている。気温も適度に調節され、暑くもなければ、かといって寒くもない、いわば常春の国といって差し支えなかった。会いたい人には、そう思っただけで直ぐに逢えたし、もう留守電に腹を立てることもなくなった。生前可愛がってくれた小学校の安井先生とも再会を果たし、夫の泰雄よりずっと好きだった、従兄の雄一郎とも連絡がつき、手をつなぎ肩を組みながら浮き浮きした気分で蓮池の散策もできた。もちろんその時には、少女期の、雄一郎との楽しい思い出話が次から次に飛び出してきて、何時までたっても話は尽きなかった。

  面白いのはこちらの連中の生活ぶりだ。生前ナチュラリストだった者は相変わらず、極楽の花や鳥に夢中で、やはり愛用のカメラを持ってあちこち歩き回っている。

 こういった方面にあまり詳しくない幸恵でも、ひとつ発見があった。それはここには、昆虫類は少なく、極楽トンボが数種類いるだけなのだ。このトンボは翅が時間によって七色に変るところが、娑婆のトンボと違っていた。その色を見るだけで、今何時かを言い当てることさえ出来た。

 極楽の植生は多様で、例のナチュラリストの植木氏は、極楽に到着してから、まいにち観察していた花や木の写真を、一冊の本にまとめる仕事にいま打ち込んでいる。夢はここでの唯一の出版社である『エディシオン・パラディ』から八十部限定の豪華装丁本を出版することだという。幸恵は一度その原稿を見せて貰らったことがあるが、そこにはその植物ごとに、発見した正確な日時と場所が書き込まれ、後景をぼかした見事なマクロ撮影には思わず感嘆の声を上げてしまった。聞けば、氏は若い頃、東京のある農業大学の花卉園芸学科に籍を置き、学校では極楽の植物を専攻し、卒論もこのテーマを選んだという。

 ここで極楽の木や花の一部を披露すると、たとえば、有名な優曇華の花がある。三千年に一度しか開花しない希少な花だが、こちらへ来てまもなく、幸恵は地元のひとからこの木が、丁度三年後に、その開花の時季を迎えると聞かされ、期待で胸が大きく膨らんだ。

 また、娑婆で小説を書いていたものは、やはり極楽を舞台に、長編の制作に日夜勤しんでいる。また、エッセイこそ自分の生きがいと、来る日も来る日も身辺のいろいろを丁寧に書き留めていたB子さんは、こちらでも相変わらず、綺麗な字で小さな発見を書き綴っている。歌や音楽の好きだった者たちは、蓮池の岸辺で、同士とロータス・アンサンブルという名のバンドを組んで、演奏会を開き、そのつど大勢のファンを集めている。また娑婆にいたころは油絵の力作で、しばしば上野の展覧会に入賞していたものは、こちらでも小高い丘のあたりに使い古したお気に入りのイーゼルを立て、新しい風景画に、意欲的に取り組んでいる。このイーゼルもきっと、家族が気を利かせて、葬儀のときに、棺の中にそっとしのばせて呉れたのだろう。もちろん、俳諧を嗜んでいた者たちは、この土地柄にあった、新しい季語集や、歳時記の編纂に余念がない。

                                 (つづく)

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『オランダ風説書』を識る

Profyamamoto0959

きのうは地元で東大資料編纂所の山本博文教授の講演があった。題して「オランダ風説書」と徳川幕府の外交政策。これは当地佐倉市と佐倉国際交流基金が日蘭交流400年を記念して共催で行なった講演会で、地元の国際文化大学の公開講座の一環として催されたものである。

 講師はさすが、知名人だけあって、会場となった市の中央公民館大ホールは大入り満員の大盛況であった。また1992年の日本エッセイスト・クラブ賞受賞者だけあって、さすが話の持って行き方が上手い。

  朝ドラで一躍全国視聴者の耳目を集めた例の「篤姫」をまくらに振り、またご自身の出身地、岡山をそれとなく宣伝するところなどエッセイストの面目躍如たるものがある。

 お話を伺っている内、初めて聞く「風説書」と云うものが鎖国日本で果たした役割がいかに大きかったかを知り、また日本の近代化へに対するオランダの寄与というものを思わざるをえなかった。

 ライバル、ポルトガルと争い貿易を独占しようと図ったオランダの思惑、実を結ばなかったにせよ、1638年には評定所大寄合いで幕府から意見を聴取されるまで信用されたオランダ。

 この風説書は外国の事情を商館側から提供され、それを通詞が記録し、商館長がそれにサインし、密封して飛脚が江戸へ運んだとされるが、この内容も長崎駐在の諸藩の聞役に漏れていたようである。これは幕府が全く知らずにいたのか、それとも放任していたのか、気になるところであるが、かえってこれがいい結果をもたらしていたかもしれない。

 面白かったのは、玄沢の「解体新書」で、この翻訳には大変な苦労が伴ったことが伝えられているが、先生は、当時長崎には大小、数百の通詞がいて蘭学者はみなこれらの大通詞、小通詞などに教えを受けることが出来たので太平洋一人ぼっちというのは少し大げさだったのではと疑問を投げかける。

 もうひとつは、日本にとっての世界に対する唯一の窓であった出島、そこの商館長はその立場を利用し、上手く立ち回っていたこと。プロテスタント国オランダが、欧州での抗争に破れ、カトリック国フランスに併合されたとき、その事実が知れれば貿易を差し止められると思い、真相を隠していたこと。これは後に思わぬ方からバレルが、幕府から追求されても商館長はひたすらお惚けの一手で逃げ切ったこと。

 なお会場で配られたプリントには、第二百号風説書(寛政9年刊)のコピーがついているが、ここには何とフランス革命のことがチャンと記載されているのだ。ただし革命を起こした者を「臣下逆賊」などとし、ギロチンの文字こそないが「国王並王子を弑(シイ)し」などと書きあらわされている。

 思うに江戸から可なり離れたこの長崎の地で、せっせと開国、文明開化の道慣らしをしていたのが、他ならぬこの風説書だったのではないか、と。

 なお、この風説書の原本は散逸してほとんど残っていないが、江戸東京博物館はそれを所蔵しているそうである。ただし、オランダ語のものは現存していないという。

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皇太子ご一家のご静養先で

 オランダはアーネムの近郊、アペルドールンで哀しい出来事があった。4月30日、ちょうどこの日、ベアトリックス女王を祝う女王祭りが開かれていたため見物の群集が集まっていた、その真ん中に突っ込んだ車があり、10人以上が負傷し、5人が死亡した。犯人は38歳のオランダ人の失業者で、女王を狙ってこの犯行を企てたものと見られている。

 犯行に使われた車は黒塗りの日本車スズキ・スイフト。折角のお祝いが大惨事に変り、女王はショックを隠せない。このアペルドールンは三年前、皇太子ご一家が静養のため訪れた町でもあり、付近にはウイルヘルミナ元女王ゆかりの豪華な内装のへット・ロー宮殿もある。地元の大きな教会には死者を悼む1万人以上の弔問客が詰め掛けたという。

   また、この町の名のついた、チューリップの品種があったようにも記憶している。

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