『オランダ風説書』を識る
きのうは地元で東大資料編纂所の山本博文教授の講演があった。題して「オランダ風説書」と徳川幕府の外交政策。これは当地佐倉市と佐倉国際交流基金が日蘭交流400年を記念して共催で行なった講演会で、地元の国際文化大学の公開講座の一環として催されたものである。
講師はさすが、知名人だけあって、会場となった市の中央公民館大ホールは大入り満員の大盛況であった。また1992年の日本エッセイスト・クラブ賞受賞者だけあって、さすが話の持って行き方が上手い。
朝ドラで一躍全国視聴者の耳目を集めた例の「篤姫」をまくらに振り、またご自身の出身地、岡山をそれとなく宣伝するところなどエッセイストの面目躍如たるものがある。
お話を伺っている内、初めて聞く「風説書」と云うものが鎖国日本で果たした役割がいかに大きかったかを知り、また日本の近代化へに対するオランダの寄与というものを思わざるをえなかった。
ライバル、ポルトガルと争い貿易を独占しようと図ったオランダの思惑、実を結ばなかったにせよ、1638年には評定所大寄合いで幕府から意見を聴取されるまで信用されたオランダ。
この風説書は外国の事情を商館側から提供され、それを通詞が記録し、商館長がそれにサインし、密封して飛脚が江戸へ運んだとされるが、この内容も長崎駐在の諸藩の聞役に漏れていたようである。これは幕府が全く知らずにいたのか、それとも放任していたのか、気になるところであるが、かえってこれがいい結果をもたらしていたかもしれない。
面白かったのは、玄沢の「解体新書」で、この翻訳には大変な苦労が伴ったことが伝えられているが、先生は、当時長崎には大小、数百の通詞がいて蘭学者はみなこれらの大通詞、小通詞などに教えを受けることが出来たので太平洋一人ぼっちというのは少し大げさだったのではと疑問を投げかける。
もうひとつは、日本にとっての世界に対する唯一の窓であった出島、そこの商館長はその立場を利用し、上手く立ち回っていたこと。プロテスタント国オランダが、欧州での抗争に破れ、カトリック国フランスに併合されたとき、その事実が知れれば貿易を差し止められると思い、真相を隠していたこと。これは後に思わぬ方からバレルが、幕府から追求されても商館長はひたすらお惚けの一手で逃げ切ったこと。
なお会場で配られたプリントには、第二百号風説書(寛政9年刊)のコピーがついているが、ここには何とフランス革命のことがチャンと記載されているのだ。ただし革命を起こした者を「臣下逆賊」などとし、ギロチンの文字こそないが「国王並王子を弑(シイ)し」などと書きあらわされている。
思うに江戸から可なり離れたこの長崎の地で、せっせと開国、文明開化の道慣らしをしていたのが、他ならぬこの風説書だったのではないか、と。
なお、この風説書の原本は散逸してほとんど残っていないが、江戸東京博物館はそれを所蔵しているそうである。ただし、オランダ語のものは現存していないという。



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