創世記が目を回すような出来事~2
創世記が目を回すより前に、オランダ中がさきに目を回してしまったようだ。(-_-;)この記事が出て以来議論沸騰。キリスト教社会は完全に二分された形だという。
また、女史の意見を入れるにしても、こうした誤訳が何千年の間まかり通ってきたというのも、俄かには信じがたい気もする。
あっしが思うに、もし神が創ったのでないなら、誰が創ったかという紋題とともに、あっしらが子供のころから聞かされてきた造物主(つくりぬし)と云うものが否定されるとキリスト教社会そのものの屋台骨を揺るがすようなことになりはしないか。彼らはメイク(make)とクリエート(create)を峻別する。神はなにも無いところから創り出したのだからこそ偉大なのである。見本があってそれを真似て作るなら誰にでも出来る。
また、神がすべてを創ったのなら、その前史は存在しないはず。もし、神が到達する前に天地が創造されていて、神はただ分離作業だけをやったのなら、すべての始まりではないわけだ。つまり、旧約聖書は、中途から書き始められたことになる。したがって、こうなると、聖書自体の価値、ひいてはキリスト教の価値も大きく減退するはずである。これはかなり大きな紋題と云えるのではないか。


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