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追蚊の追蚊★

  日本国内で、蚊のMecca、つまり、「メッ!蚊」といえば、どこだろう。あっしは、それは京都だと思う。何しろここには、吉井勇の歌碑、いや、蚊碑があるのだから。

  その歌碑、いや蚊碑にいわく。「蚊に掻くに 祇園はこひし 寝るときも ボウフラを生む 水のながるる」しかも、祇園駅近くには「蚊に掻くに」という吉井の歌の冒頭の句を、そのまま屋号にした料亭までおます。京都にお越しの節は、ぜひぜひお立ち寄りになってお呉れやす。「メッ!蚊」には、

  外国では、ロシアの「蚊無茶蚊」があります。また、インドの「蚊溜蚊多」もわりと最近までそうだったのだが、ごくさいきん、コルカタに改名してしまったのが、世界中の蚊ウォッチャー達に惜しまれている。「蚊名多」も、この方では夙に有名。ふたたび国内へ戻って、県では「蚊川県」、人では、つい最近、テレビに出て、その若大将ぶりを誇示していた「蚊山夕造」がいる。

  歴史的に見て蚊の多かった時代はとなると、やはり「蚊栄年間」であろう。「安静」のまえで、これは5年近くも続いた。

  蚊の駆除法については、決定打はまだ見つかっていないようだ。これにはちょっと古いのだが、呪術の利用が意外と効力を発揮するかも知れない。たとえば、音楽の力を借りる。

  力量のある音楽家を起用し『蚊出んつぁ』をとくに念入りに演奏してもらうのである。

  きょう初めて知ったが、第2次大戦中、ヒトラーは武器の一つとして、マラリアに感染した蚊の活用を研究させていたという。その蚊がことごとく、翼にハーケンクロイツ(カギ十字)をつけて実験棟内を飛び回っていたのだろう蚊、などと、蚊ってな想像を、巡らせるのも、また愉しいものだ。ところで、

  なぜ、南方系の病を媒介する蚊が、紋題になるのかを、自分なりに考えてみた。それは、近ごろ、正月などに、羽根つきをやらなくなったことにも、その一因があるのではないか。一般に羽根つきは、子供の遊びと考えられているが、実は蚊除けのまじない行事ともいえる。(室町期の書「世諺セイゲン問答」に出ず)

  羽子板で突く羽根は、蚊の天敵トンボを表したものだと云う。☆これを突いて、思いっきり、蚊を甚振る、つまり、いた(板?)ぶる(振る)のである。

 ☆ 蚊の天敵は人間を含め、トンボ、カマキリ、クモ、ヘビなど多数ある。蚊の駆除をトンボにばかりに任せるのは、あっしなど、チョット不公平なような気もする。

 ★なぜ、こうも追蚊が多くなるのか。答えは簡単である。われわれは、一刻も早く紋題の蚊軍を追放(つまりは、追蚊)しなければならないからである。ところで、

               (これでホントウに)おわり(なの蚊な)(^^♪

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追蚊(☆どうか追加<ツイカ>と読んで下さい<(_ _)>

  あっしが先日訪問したばかりの東京は上野公園でも、ヒトスジシマ蚊の出現が伝えられる今日このごろ、生来鈍感なあっしでさえ、これは容易ならざる事態に立ち至ったと、認識を新たにしました。だいたい、

  「蚊學ノ書」に出て来る、奥本大三郎のように、鳥居清倍や大窪詩仏など浮世絵や漢詩の世界に遊び、また荷風の俳諧に思いを馳せたりするといった、氏の云う『蚊鳥風月』の世界にどっぷり浸かっている余裕など、これはあってはならないことなのである。いずれも蚊にまつわる文芸である。もっとも、これが、まつわるだからいいような紋で、反対に、蚊にまつわられるのでは、困るのである。(-.-)

  そこで、いま思い出したことがあるので、ここへチョット追蚊する。ウナギを絶滅危惧種へ追いやったあの、平賀源内の友人、蜀山人、大田南畝だが、かれが松平定信を揶揄したものに「蚊ほど五月蠅きものはない ぶんぶん(文武)と夜も眠れず」というのがある。

  これを見てあっしはまた、例の大発見。京大の森和俊教授の貰ったラスカー賞ほどではないが、自分では大した紋だと思っている。それは、

  蚊というのは、前に書いたが、ハエ目(糸角亜目)カ科の昆虫で、いわば、ハエの親戚。で、南畝の落首に戻ると、ここでも、ウルサイという字に『五月蠅い』が当てられている。蚊と蠅の結束。これはまさに、

  東西軌を一にしている、と云っていいのではないか。そこで蛇足だが、

 ウルサイというのは、五月蠅いだけではない。現代言語セミナーの調べでは、これが11もある。これを全部書くと大抵、写し間違えだの、なんだかが生じる恐れがあるので、ここでは、その内のいくつかを紹介するのにとどめる。やはり蠅を使うのが多いが、他に懊悩い、可煩い、煩瑣い、これらは何となく分かる気もするが、騒さい、紛さい、煩冗い、などは説明がないと読めないであろう。

  ちなみに、こうした国語破壊者の名をあげると、漱石、鏡花、風葉、草平、中村真一郎と云った文豪やそれに類する人たちである。(-.-)

  世に漱石ファンや、鏡花ファンも多いことと思うが、読者の皆さんにお願いがある。それは、気の弱いあっしに対し、それマジイ?おいおい、それマジ蚊よー?などと詰問しないで欲しいのだ。

                              (おわり)

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将来、蚊學者になりたい人に捧ぐ

  ヒトスジシマカの跳梁跋扈が、あっしの激しい叱責にも関わらず、一向収まる気配を見せぬ。いかがなものかと思われるなど、のんびりしたことを云っていては、その内、その筋から「怪しからん、お前はヒコクミンだ!」などと云って怒鳴りつけられるかも知れぬ。(-.-)

  そこで、いつものマジメだけが取り柄の自分に立ち返って、再び町の専門蚊、いや、専紋家の椎名先生の門を叩くことにした。

 あーた、椎名先生と云ったって、ただの物書き、小説家ではないのですよ。この人タイヘンな蚊お宅なんです。何しろ、こんな騒ぎの起きるずっと昔、氏がまだ小学生のころ、アミカゴのなかで、カナブンなどと一緒に、蚊も飼っていたというのですから。

  で、次はカ対策だが、むかしは例の蚊取り線香のほかに、『蚊帳いらず』だの超音波利用の『ササレーヌ』、『マイッタ蚊』なんてのも、あったそうである。

  シーナの小説「蚊」★にもあったけれど、蚊というものは、滅多にくたばるもんじゃないそうです。彼はそれを「逃亡蚊」「蘇生蚊」「耐久タフネス蚊」などと呼んでいる。死んだふりではないけれど、一度叩いても、芝居の切られ役のように、あとで起き上がって平気で立ちションベンしたりタバコをふかしたりしてる、そんな感じです。つまり、相当しぶといヤツであり、死んでもすぐ息を吹き返す、手におえないヤツなのです。

  シーナは、今から20年も前、1994年すでに「蚊學ノ書」を世に問うています。書いたというより、編集したわけですが…。かれこそ、日本における、蚊學研究の草分けと云っていいでしょう。じつはこの文も、ほとんどが同書の受け売りなんです。日本では「気づかぬうちに、蚊に刺されたような気がする」などと平気で云っていますが、蚊の本場では、そんなことでは、マッタク相手にされません。

  その本場の一つ北極では、こんな具合です。C・ニコルによれば、かれも大量の蚊に刺され、病院で点滴治療をうけたそうですが、人間でも、一旦蚊の大群に襲われたら、その時もし裸だったら、30分であの世行きだそうです。

  この本には、蚊の付く苗字の人の、上位13位までがのっていた。また、この本のおかげで、蚊の付く地名が、北海道から九州まであることも、あっしにはよく分かった。

  蚊の名所は前掲の北極だけでなく、カナダ、アメリカ(さすが、カが付くだけあって(^^♪、)アマゾン、東南アジアと世界中にあるらしい。

  この本は、蚊の俳句、和歌なども集めてあり、蚊の落語、ことわざ、伝説、蚊の切手、蚊談会、つまり(蚊をめぐる座談会のこと)など、色々載っていて非常にベンキョーになるし、また、同書を通読すれば、一廉の蚊學者か、世界蚊學アカデミーの特別会員になれることは、まず間違いない。
                           おわり

 ★ この小説「蚊」も、同書に収録されている。

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高がカ、されど蚊

蚊というものは、見るからに小さい。小さいがために常にバカにされる。ところが、蚊はゴキブリなどとともに、人類の大先輩にあたる。なにしろジュラ紀と云えば、今から1億何千年も前のことである。蚊は、

 何と、中生代のジュラ紀からずっと地球上に居続けているのである。人間なんぞはこれに比べれば、ひよっ子の新参者だ。おごるな人間!調子に乗るんじゃねえ、などと、あの蚊の鳴くような、か細い声で抗議し、そのあとは、トーゼン『蚊々大笑』ということに相成る。

 そこへ行くと人間は、温室育ちで、やれ、暑いの寒いのと、年中不平ばかり云うが、蚊は何処にでもいる。たとえば、マーチャンの著書「マーチャンがゆく」の110ページを開いて頂きたい。

 そこには「北極圏の蚊柱」と云う章があり、フィンランドのロバニエミで膨大な蚊の歓迎を受けたことが綴られている。張り切りガールのマーチャン、せっかく散歩に出掛けたまではよかったが、あまりにも馴れ馴れしい蚊のスキンシップに音を上げ、折角の散歩を、早々に切り上げたそうである。

 ま、蚊と云うものは人間にとってショウジキ嫌われ者ということになる。ところが、この嫌われ者の虜になり、今の言葉でいえば、すっかり『ハマって』しまった男が現にいるのだ。それは椎名誠と云うおとこである。それでは、彼の小説から、触りのところだけをちょこっと。

実はその内容をくわしく皆さまにお知らせしたいのは山々なのだが、チョット躊躇してしまう。というのは、誰でも、これを読み始めると、体中がむずがゆくなり、終いには文字通り、居たたまれなくなってくることはすでに、あっしが実証済みだからである。

 でも折角なので、触りのところだけをちょこっと。

 女房の加代子に逃げられたある平サラリーマンの男が、自宅の安アパートの一間しかない六帖間で、蚊の大群に襲われ、一晩中カ軍と、といったって、あのメジャーリーグのカーディナルスではありませんが、弱弱しいものの代表のような蚊軍に対しあらん限りの知恵を振り絞って、孤軍奮闘する物語と云ったらいいのだろうか。

 それが、あーた、相手は数十匹とか数百匹のはなしではないのです。作者の椎名さんはあっしと似て、生まれつき虚言癖があるのか、「減ったといってもまだ数千匹の蚊が飛びかっているようだった。」などと書いて平然としている。

 翻って自らのカ対策を考えると、これがマッタクなっていない。どこの家でも普通にある、蚊取り線香でさえ陸すっぽ用意していない。ところが、椎名家は流石だ。さいしょは蚊取り線香。裏目堂薬品スーパーから、買ったばかりの「毛脛屋の強力渦巻」20本を動員。ところが、カ軍はこんなもので怯むような、やわな敵ではなかった。これではダメだと悟った椎名さん(これは別に、私小説ではないが、この方がずっと分かりやすい)新聞紙や、自分の手まで使って応戦するが、敵は、そんなものではびくともしない。

 そこで登場するのが、加代子のいたころ、よく使った電気掃除機吸神丸二号である。

 こいつで残らず、吸い取ってしまおうという魂胆である。これは著しい効果があったが、水道の栓をひねってみてビックリ。水を出すたびに、コップの中で数匹のカが水泳大会をやっているのだ。気が付くと、窓の外側に夥しい数のカが、今にも椎名さんの部屋へ侵入しようと、虎視眈々と隙を窺っているのだった。待機児童の比ではない。ちょっと見には、千匹ぐらいはいそうな感じだったが、彼の筆によると、アパートの前だけで「ざっと数十万匹が飛び回っているようだった。」というタイヘンなことになってしまう。

 『蚊の異常発生』が、もしや局地的なものではないのではと思いたい椎名さんは、急遽テレビのスイッチを押すが、蚊の死体がじゃまをしているせいか、暫くすると、ぷつんと切れてしまう。

  仕方なく、ゆうべ、遅くまで一緒に飲んだ同僚の加茂田のところへ電話をしようとするが、ここでもカのせいか、マッタク繋がらず、いつまで経っても「お話し中」だ。椎名さんも、ついに諦め気味となり、そのまま、無数のカに刺され、我慢できずに掻き毟って、全身ぼこぼこのべろべろになった体を、毛布や冬布団にくるんで,弱弱しい、それこそカの鳴くような「ぴいぴい」という頼りない咳を三っつばかりして、全巻の終わりと成る。

  デング熱が我が物顔に、猛威を振るう現在では、体中刺されて面白がってはいられない。思えば、椎名さんのサラリーマン時代はまだ、のんびりした時代だったのかも。  

 今さっき、デング熱のデングはスペイン語に由来と聞いた。カで思い出すのは、イタリアのヴェネツィアで、ここでは、家のことをカというらしい。とすれば、家蚊はカカか。いや、蚊はイタリア語でないので、そんなことはない蚊。

 スペインでは、ハエはモスカ、カはモスキートだが、イタリアではハエはモスカだが、カはザンザーラ。ちなみに、カはハエ目糸角亜目カ科に属する、昆虫だそうである。    終わり

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終いには「飛んだこと」に!

 むかしは夫婦げんかで、よく茶碗が飛んだりしたものだ。学校では教師のチョークが飛んだこともケッコウあった。

  ったく、羽根もない癖に、なんでも、飛ぶものだ。(@_@。

  韋駄天の愛称もある飛脚も、空中を飛びはしないが、飛ぶように走った。ところで、昨今では何と言っても、リニア新幹線だ。時速、500キロはたしかにスゴイ。

  リニア新幹線に負けてはならじと、教室でもやはり飛ぶらしく、ケストナーに「飛ぶ教室」という作品がある。立川文庫に「猿飛佐助」があるし、清水義範氏あたりになると、その教室も、ただ飛ぶだけでなく、『飛び過ぎ』たりするらしいのだ。

  澁澤龍彦さんの「空飛ぶ大納言」の大納言成通卿は、厳密に言えば、ほんとうに空を飛んだとは云いがたい。オウムの尊師ではないが、ほんとうに飛んだのか。答えは、飛んでもいない、飛んでもない、が正解。(-.-)。

  何しろ、地上から、たったの15センチと云うのだから。

  例の「紋次郎一座興行」でも書いたが、そこへ行くと、器物の飛ぶ方が,まだスゴイといえる。

  天狗も飛ぶ。市の広報紙によると、当地の古文書に載っている天狗は、佐倉京都間を10時間で往復走破したという。おまけに、ちゃっかり祇園祭まで見物してきた、という。広報の試算では、移動の速度は、およそ時速80キロくらいではなかったか、としている。『天狗』は当地の大蛇(オオジャ)町と云うところに、嘗てあった文珠寺の寺男だったようだ。実は、その寺はあっしの家からもほど近く、あっしの家もじつは、東京から引っ越してきた当時は、大蛇町と呼ばれていた。で、ヒマに任せて、あっしも、この辺をくまなく捜索して、古い家に残っている巻物を手に入れ、天狗のように、自在に中空を飛んでみたいものだ。もし、成功した暁には,親しい友人をさそって、最寄り駅の広場にある「天狗の舞」で祝杯を挙げる計画も、すでにできている。

  しかし、天狗と云うのは、天狗の高笑いではないが、高木の上にいるのが普通で、その行動様式は、いうなれば、アップダウン型ではないか。

  韋駄天は、高い枝に上がったりはしないので、水平移動型だ。韋駄天走りはちょくちょく聞くが、天狗走りは絶えて聞いたことがない。もっとも、天狗だって一人や二人ではないだろうから、なかには、その両方をこなす豪の者も、五人や六人は、いるのかも知れない。

  アップダウンでいえば、昔から、天狗昇『飛び』切りの術と云うことばさえ、ある。


  西洋の飛ぶ話では、イカルスが特に有名だ。ベルギーの王立美術館で、あっしも「イカルスの墜落のある風景」(模写)というのを、しげしげと眺めた思い出がある。

  そういえば、飛び道具ということばがある。戦争、戦闘の際はいうに及ばず、平時でもアメリカなどでは、年端の行かぬ子供までが、器用に操作して、じつの兄弟をあの世に送ったりするような悲惨な事件が、あいかわらず、後を絶たない。これは、飛ぶものの内でも、悪玉の最たるものである。

  30年代には、「飛んでる女」が流行語になり、胡桃沢耕史が「翔んでる警視」シリーズを書いて、それも大ヒットした。ま、ほかにもいろいろあるが、

  こんな事ばっかり書いていると、その内、しまいには『飛んだことに』なるかもしれない。そう思うと、恐怖心が、気のせいか、俄かに募ってきて、心臓の鼓動がみるみる内に激しさを増してくる。あまり欲張らずに、この辺で筆をおいた方がどうやらよさそうだ。

                           おわり

  A さんへ。

  あっしはあっしなりに、いろいろ努力したつもりですが、『飛びっ切り』面白いのができなくて、ほんとうに、すんまへん。<(_ _)>

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