« December 2015 | Main

Re: 大成功!のミニミニイベント

Photo


>   その際、当地の自治会長が見に来られ、秋の文化祭の時にぜひもう一度やって呉れと云われました。あっしは、あまり自信がなかったので、色よい返事はしなかったのですが、回ってきた回覧板や、辻々に立ってる掲示板を見ると、近く開く予定の「文化祭のお知らせ」でした。その最初の方に「ふれて遊べる世界のおもちゃコーナー」も企画しております。などと印刷してあるではありませんか。


これが、当町に回った回覧板の写しです。いや、あん時は、参りやした。(-_-;)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

大成功!のミニミニイベント

  今年の7月ころ、近くの甘味処の経営する貸し画廊で、ミニミニイベントを開きました。会場を1週間借り切ったのですが、お客は50人ほどしか来て呉れませんでした。

   その際、当地の自治会長が見に来られ、秋の文化祭の時にぜひもう一度やって呉れと云われました。あっしは、あまり自信がなかったので、色よい返事はしなかったのですが、回ってきた回覧板や、辻々に立ってる掲示板を見ると、近く開く予定の「文化祭のお知らせ」でした。その最初の方に「ふれて遊べる世界のおもちゃコーナー」も企画しております。などと印刷してあるではありませんか。

   りゃりゃりゃ、あんとき、たしか確答は避けたはずだけどなあ、とか云ってみたものの、一丁目から三丁目まで、処々方々に置かれた掲示板の張り紙に、そう書かれちゃあ、もう後の祭りです。こちとら、博物館でもないのに、『世界の』おもちゃなど期待されては大迷惑です。 弱り切っている内、到頭搬入の日が来てしまいました。

   展示品は、自治会の文化部長さんが、大きなバンで取りに来てくれました。何しろあっしの方の品物は、絵画や写真と違って、それ自体が極端に小さく、その一方、点数の方はやたらと多いので、展示が終わるのに、丸一日かかって仕舞いました。

   生憎と、文化祭の当日は、東京でたったひとりの、兄の90歳の祝いがあったので、そちらも欠席するわけには行きません。

   展示はその日と翌日の二日間ですが、その初日を欠席です。第2日目は、早めに家を出ました。2日目は会期中ではありますが、なおかつ展示品の撤収日でもあります。また閑古鳥では困ると、心配しいしい会場へ赴くと、すでに来場者があったようです。前回は、一週間ぶっ通しでやったのですが、毎日閑古鳥が鳴き、主催者側も手持無沙汰で、こうヒマじゃあ、することがないから、ひとつ、あくび指南の道場へでも、行ってみるかなんて、バカを云っていました。今度も多分同じで、来場者はあっても、稀だろうとみくびり、『メッセージカード』のスペアを、あまり用意しておきませんでした。

   ところが、部長さんに聞いてみると、前日もケッコウ来場者があったので、メッセージカードが足りなく、有り合わせの画用紙を自宅から持ってきて、それに書いて貰ったということでした。

   今回は部長さんの前宣伝もよかったのか、たった二日間で60人も来てくれたのです。大入り満員で、これはスゴイ。あっしにとっては『事件』と云ってもいいくらいです。もちろん、地元の新聞には、一行も出ていませんでしたが…。(-_-;)

   この部長さんというのは、体つきは、どちらかと云えば小柄ですが、じつによく動き、また大きな机など、一人で軽々と持ち上げるというじつに頼もしい人です。言葉遣いもてきぱきしていて、頭の回転もはやいのです。しかも、家では夫の親の世話をし、仕事も二箇所でやっているのだとか。その仕事については、詳しくは聞きませんが、介護関係だとか云っていました。とにかく、片時も休もうとしない、文字通りの張り切りガールなのです。(つづく)             [2015年11月29日記]

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Re: 『かかわり本』番外編~2

  ここで、Мさんが、以前どこかに書いていた薩摩人の苗字で、、海音寺潮五郎のことが例の「風土記」にも出ていたのを思い出した。

  それは「続・阿佐ヶ谷将棋会」の文中にあったもので、第二次大戦の時、民間人も徴用された。著者の井伏さんも陸軍から徴用令を受け取り大阪の連隊に入隊した。指定の場所に着いてみると、それぞれが勇ましい恰好で現れた。なかでも、「海音寺潮五郎は、朱鞘の大刀を真田紐で背中に吊るし(刀身は二尺五寸)映画で見る甲賀流の忍者、または古画で見る股くぐりの韓信を思わせる」勇ましいもので、徴用係の将校たちも、海音寺には一目置いた感じだったそうだ。

  やがて髯の隊長が、徴員一同に気合を入れようと、俺が指揮官だ。俺が貴様たちの命は預かった。「ぐずぐず言う者は、ぶった斬るぞ」とはったりをかけた。そのことばに、一同は思わず立ちすくみ、中には卒倒するものもあったが、「いきなり「ぶった斬って見ろ」と叫ぶ者があった。これが海音寺潮五郎であった」と書いてある。

  また、別の個所では、海音寺が仏印のサイゴンの港で、誤って海中に落ちた。怪童丸の働きですぐ救助されたが、徴員連中は驚いて、騒ぎ立てた。すると、海音寺は、さあらぬ態で「者ども騒ぐな」または「騒ぐな」と云ったという。こんな伝説が残されている。海音寺はなかなかの、ゴーケツだったらしい。

        ↑                ↑

   ※ なぜこの書き込みが出来たか、よーく、考えてみたら、図書の返却日を過ぎていたのに、まだ持っていたからだった。いっけねえ、街の図書館へすぐに返しに行かなくっちゃ。(-_-;)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

『かかわり本』番外編~2

  夢声は新宿の武蔵野館で得意の弁舌を披露していたらしいが、あっしは(もちろん、トーキーの時代になってからであるが)この映画館には何度か行った覚えがある。新宿にはそのほか、昭和館と云うのもあったはずだ。ムーラン・ルージュについては聞いたことはあったが、中へ入ったことはない。(1951年廃業とあるので、あっしの学生の頃まだ、営業していたらしい。)

  井伏さんによると、徳川夢声というひとは、洒落の名人であったそうな。すし屋で洒落を連発して、すし屋の主人が笑い転げたとあるが、酒の飲み方が尋常でない。飲むというより流し込むというのだ。

  あっしの思うに、人気絶頂の夢声にも、ひと知れぬ悩みがあったような気がする。井伏さんは、夢声とは将棋の会で、実際に会ったこともあるようだ。

 話は変わるが、次は、

  四面道の由来。四面道の名は、「荻窪の今昔と商店街之変遷」の著者、矢嶋さんによると、青梅街道と大場通りの交差する箇所が、四面道。四面道というのは元、秋葉神社の常夜灯のことであるらしい。

  江戸時代の末期に、常夜灯講中が建てた。秋葉神社は東京の秋葉原という地名の起こりにもあるように、火伏の神であるという。当時、江戸には火事が多かった☆ので秋葉神社も多かったのではないか。

  もと、四面塔とも、云ったらしい。あるいは四面体をしていたか。あっしは別に、四面灯も考えた。   

 また、長くなったので、「風土記」の感想はここで終わることにする。
                                 (完)

 ☆よくは覚えていないが、江戸に多いものを集めて「火事 喧嘩 伊勢屋 稲荷に犬の糞」とかってのが、あったような気がする。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Re: 『かかわり本』番外編

なお、Aさんからも、つぎの感想を頂きました。Aさん、いつも有難う。<(_ _)>


   紋次郎さん、こんばんは、

 番外編の終わり? にやっと少しばかりのレスです。

 やっとの思いで読むだけは読んだものの、なんとレスをつけてよいやら!

私の知識では追いついていけません。読んだだけでお許しを<(_ _)>

G さんとは違うことにも恥じ入ります。

> > 結局恩師でもあった辻順と別れ大杉と結婚。

> >  もしかして、これって、辻順ではなく、辻潤ではありませんか。

> その通りです。 辻順 → 辻潤 の間違いです。

   は楽しかったです。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« December 2015 | Main